2002年5月 4日

私的デザイン論:二階堂隆

●未来は、まんざらでもない
現在の日本経済に明るい材料を見い出すのは、きわめて難しいと言わざるを得ない。 しかし、これを嘆いていてもいたずらに時間を浪費しているのに等しい。 まずは、現実を客観的に見定める必要がある。物が売れないといわれても若年層の購買意欲は どの時代でも確実に存在しているし又、新しい文化も生まれている。 経済の停滞は、日本の貧弱な福祉行政に責任の大半があるにしても、新しい需要に対し答えが 見い出せないだけではないのかと考えている。 時代は、新しい価値を持った物に素早く反応するはずである。


●試される日本のクリエイター達
大きな組織であれ、ちいさな組織であれアイデイアを出す作業はきわめて個人的な行為である。 デザイナーに限らずあらゆる職業に就いているプロと言われる人々全てが、クリエイターとしての 意識を持つことが最も重要なことなのです。 クリエイテイブな仕事と言うとデザイナー、エンジニア、企画マン、アーテイストなどと限定しがち だが、そうではなく政治家、公務員、第一次産業、第二次産業、第三次産業に従事する全ての プロがクリエイテターとしての意識を持つべきであり、又それを持つことが時代を変革して行くと 確信しています。


●自己の判断で行動すること
自分の責任で判断することは、公事であれ私事であれ多少のリスクを負わなければなりませんが、 日本人の多数が自分で判断することを放棄しているように感じざるをえません。 日本のマーケットの特異性はこの事から派生していると思えます。とにかく個性が見えて こないと感じるのは、私だけではないと思う。 自分らしく生きること、自分の尺度で物を計ってみることをもっと考えるべきなのです。 他人からどう言われようと、自分はこうなんだと言うひらきなおりがあっても良いのでは ないだろうか。 ヨーロッパ諸国の人々との大きな違いは、そこにあると思えます。 自分で判断し自分で行動する、自分の選択に自信を持つ、これが大変重要なことなのです。


●デザイナーの役割
初めに、デザインは物を売るために飾り付けをする作業ではないことを認識しなければならない。では何なのか?物の本質に迫る行為だと断言する。言い換えれば時代の潜在的欲求に対応した、新しい価値の創造である。 例えば形をデザインするうえでは、四角であれ、丸であれ、柔らかい形であれ、固い形であれ全てが選択指である。無数の選択指の中からどれを選ぶかはまったく担当デザイナーに 委ねられているわけである。では無数の線の中から一本の線を選択する基準は何処に求めるべきなのか? それは、人間が本質的に持っている美への憧れと、時代の持っている潜在的欲求に共鳴しているか、 これら二点に集約されるはずです。 デザインすると言う行為は、物の本質を見きわめ、物を通 じて時代の欲求に応える行為なのです。 そして、物は結果として多くの人の共感を得て広まって行くにすぎません。 物をプロモーションに頼ってヒットさせようとする行為などは大衆に対する偽善としか 言いようがない行為なのです。


●商品の価値
狭義な意味で物が不足している時代にデザインの価値は無に等しいと言わざるをえません。 生活に必要不可欠ならば物理的価値が優先され、使えれば良いのであって精神的満足にまで 欲求レベルが到達しないからです。 しかし、物が十分にある現代では、物あるいは商品の価値はどこに求められるのか? 事例を上げるまでもないが、ラジオ.テレビ.BS.ビデオ.ウオークマン.パソコン.携帯電話等々 (情報化に大きく時代が動いてその延長線上に現在もある)は、時代の欲求に応えた好例である。 これらの事例からも簡単に導き出される結論は、新しいコンセプトが価値を決定すると言うことです。 新しい商品コンセプトが新しいデザインを生み、新しいマーケットを開拓し市場を活性化させます。 商品の価値=商品コンセプトに有り!


●インターネットで何が変わるか
インターネットの価値は情報の収集より情報の発信に有り。 今まで個人は、テレビ.ラジオから一方的に流される情報の受け手であり受動的立場に置かれざるを えませんでした。しかしインターネットによって個人がテレビ局と同レベルのメデイアを手にする ことができたのです。国家レベルと対等の立場になったと言っても過言ではありません。 閉塞状態の現状から、既存の会社組織、地方自治、国の形態が再構築され、あらためて 個人の時代に入りつつあると感じます。 今、個人々のアイデンテイテイーを確立して行くことが時代の必然になりつつあります。 と言うことで、やっぱり未来はまんざらでもないと思うのですが・・・。

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