スタッフ紹介二階堂美子気まぐれ日記過去〜2007


2007年12月30日

吉兆

波瀾万丈の2007年もまもなく幕が降りようとしています。
私たちにとって今年は前年までとはまったく異なる年となりました。
毎日、日替わりでやるべき事を自分で探し、多くの初対面の方にお会いし、お話ししました。多少の事があっても悩んでいるヒマもなく、それでも結構毎日が楽しくて生きてる実感ありました。

そして2007年の動きは来年に向けて、少しづつ良い兆しを感じさせてくれます。
以前に日記に書いた(株)三輝のエコ商品は2008年の量産に向けて始動を始めました。しかし、どこまでも品質にこだわる社長は、トコトンねばって部品の改良中!
3Dトレーニング「ライオンプロジェクト」での教え子拓也君は、時々こけながらも自力運転を始めてくれて随分の進歩がありました。
また彼は一見すると今時の若者なのだけれど、話してみると、とても人の心をつかむ話ができる才能を持っている事も大発見。ニカさんとも「これってすごい才能だよね!」と面白がっている所です。←文脈ちょっと変か...
日記:初冬に感じた事の「でく工房」の竹野社長からも、先日、今後に明るい希望が持てるご連絡をいただきました。
私が秋から学び始めた企画塾も年明けの成果発表会の後、卒業を迎えますが、この3ヶ月で私達の未来が変わったように感じています。課題はかなり厳しかったけれど、理論と手法を学ぶ事は大きな自信につながりました。
そこでは前向きに生きる素敵な方々ともたくさん知り合えました。

様々に乗り越えなくちゃならない事が起こるけれど、起こるから頑張れる。
宝くじ3億円当たったら... もう頑張れる気がしない。f(^_^;)

今年のお正月から、お正月は長野の実家で迎える事になりました。
実家での年越しと川路神社への初詣は、田舎でしか味わえない神妙で厳かな空気に包まれています。
ニカさんはとっても気に入ってくれて、楽しみにしてくれているようです。
今回もドップリと田舎の空気と温泉に浸かりながら2008年についての思いを巡らせて来る事にいたしましょう。

それでは皆様もそれぞれに良いお年を!

2007年11月27日

初冬に感じた事

冬の季節到来で青梅はすっかり冷え込んでいます。事務所の庭にある娑羅の木の葉は、和み色の紅葉の後すっかり落ちてしまいました。
でも良〜く観察してみると、古い葉っぱの下からもう新芽が芽生えて春の準備を始めているんです。
毎年ながら本格的な冬に向かう寒さの中でこの新芽を見ると、自然に希望を感じ、勇気がわいて来ます。
寒い冬は春の芽生えへの準備期間なんだっていう地球の生命の法則です。

近頃は色々な展示会に行く事により、様々な企業の方とお話する機会が増えました。
皆さま一生懸命に前向きで、少しでもお力になりたいと感じています。

そんな方の中のおひとりが、青梅のものづくり&福祉交流会で出会って、なんとなく気のあってしまった「でく工房」の竹野社長。
私と同じ年で血液型も同じB型なのも何かの縁でしょうか。
数年前に突然の病でご主人を亡くされて茫然自失の中、まだ小学生と中学生のお子さんを育てながら、ご主人の意志と会社を引き継ぎ、会社の立て直しに奮闘中の彼女。しかも、とってもオシャレで明るくて聡明で強い意志を感じる素敵な方です。

今日はご主人の遺産であるユニバーサル商品「すくいやすい食器」をもっと世間にアピールしたい!という気持ちからエルグデザインの事務所まで訪ねて来てくれました。
私たち2人も大歓迎して、あれこれと話をしているうちに、気がつけば予定時間を大きくオーバー。

話をしながら強く感じた事は、もうすでに私の中で企画塾での成果が芽生えているという事。
考え方の幅が広がって具体的になって来たと実感しています。

これからも「でく工房」さんのお役に立てれば幸せです。
そして「でく工房」がすっかり軌道に乗って新商品を企画する事になり、その時にエルグデザインが参加させていただけば更に幸せです。

竹野さん、今は冬で寒いけれど、きっと新芽は芽生え始めていると思う!
頑張ろうね。

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2007年11月09日

ライオンプロジェクト

この11月から新しいプロジェクトが発足した。
お付き合いしていた企業の社長とのお話の中で、企業内教育の依頼を受けたのだ。
その会社には社長の息子さんが後継者としているのだけれど、まだ若くて経験もない。
今後会社を引っ張ってゆくための求心力が必要なので、そのために彼に対してCADによる正確な図面作成技術と3Dソフトによるデータ作成ができるまでを教育してもらえないかという。
社内の製品の設計から3D化して形状検討までできれば、今後は会社にとっても価値のあるスキルとなる。

そこで発足したのが今回のプロジェクト
名付けて「ライオンプロジェクト!」だ。

栄えある出張教師役は私に決定。ニカさんより私の方が厳しい先生になる事は間違い無いかな。
一度は子ライオンが谷底に落ちた気分を味わう事になるかもね。
(社長、了解済み)予定では3ヶ月でマスターさせてみせましょう!

早速社長は、24インチ画面のiMacを購入して、3Dソフトのコンセプトアンリミテッドをインストール。
今はまだピカピカの自転車が来た〜!っていう感じかな。
元手も、会社の将来もかかっているんだから、ちゃんとモノにさせないとね...責任大きいなあ。

トレーニングシステムは事前に宿題としてCADによる図面を書いてもらい、それを週に一度の私の出張日に3Dデータ化する。
「毎日3Dソフトに触って早く慣れるように!」と言っているのだが、何かと忙しいそうであまり触ってないみたい。
まだ、ピカピカ自転車は補助輪付きで、こけないように私が後ろを押さえながら方向を指図している状態だ。
こけても良いから早く自力で乗ってみてね。
飴と鞭作戦で、このままだと鞭を出さなくちゃいけなくなるかな。

大学時代、母校に帰って教育実習した日々を思い出した。
あのまま教師になったかもしれない私と、今ライオンプロジェクトで教えている私。
そこには数十年の月日が流れているけれど、結構純粋に使命感に燃えてます。
これは教師だった父のDNAなのかなあ。

2007年10月21日

企画塾

(近頃の日記で度々登場する薬師寺さん(ヤクシ)とは私の大学時代の同級生です)

15日の青梅商工会議所でのセミナーの後、薬師寺さんとニカさんと私との3人で会食中、企画塾の話になった。
企画塾とは企画、マーケティングの人材育成、企業の経営戦略、をサポートしている会社である。
薬師寺さんは本職の産業技術研修センターでは地場産業の活性化のために身体を張り、企画塾ではマーケットプランナーのアドバイザーとして人材育成に尽力しているという、尊敬すべき人物なのだ。
彼女は私にデザイナーとしてのスキルアップのために、理論的な企画力をつけるマーケットプランナー養成講座に通う事を勧めた。
この講座はかなり実践的で増販贈客のためのノウハウを叩き込まれるらしい。

受講期間は4ヶ月。4回のスクーリング+成果発表会+(途中はかなり厳しい課題山積...)= 受講料は30万円な〜り。

確かに、企画というものを理論で学んだ方が説得力がつくなあ。
それは今後の仕事にきっと役立つはず。
もしかしたら私たちの人生自体も企画し直すチャンスになるかも。
ただし、内容はハードそうだし、時間的にも厳しそうだなあ...。
次は新しいパソコンを欲しかったんだけれど、その前に自己投資かな。
やるなら絶対元を取る覚悟でやるしかないね。
などとここは、前向きな自分+主婦感覚その他入り交じりながらも受講を決意。決意したのは薬師寺さんの情報量と説得力にいつも関心していたからでしょうか。ニカさんもその場で気持よく協力を約束してくれた。

そして1〜2日でエイヤッと片付けた第一課題を抱えて、20日に渋谷で行われた第一回スクーリングに参加。
受講者は会計事務所の方が圧倒的に多い。
近頃では会計事務所が、クライアントの企画マーケティングのお手伝いをして共存を計って行かなくては会計事務所自体の生き残りが厳しいという現実を知る。

同期の受講生は18名。若いお姉さんからゴマ塩頭のおじさんまで様々で、
覚悟はあったけれど、どうやら私は年長組みたい。
年長組だし、仕事でも企画に携わって来たし、ここでボケかましてたら格好悪いよなあ。
などと不安も感じつつ、ここでは恥はかき捨てて新しく脱皮する覚悟です。
受講を始めた途端に、もうすでに考え方自体の変化を感じているから出だしは好調。
この調子なら来年の1月には、きっと生まれ変わった私がいる事でしょう。
なんか自分でも自分の変化が楽しみになって来た今日この頃です。

2007年10月15日

青梅商工会議所にて

ニカさんが、青梅商工会議所にて「商品デザイン基礎講座」の講師を行う事となり、私もアシスタント(?)として参加した。
主催は青梅商工会議所で、参加費は無料、参加者は青梅近辺の中小企業の方々である。

当日の前半は産業技術研修センターの薬師寺さんの講演があった。
商品企画のあり方と発想法を、実例をあげての講義で、理解しやすく噛み砕いてのお話であったが、内容はかなり高度である。
私も聴講できて得した気分!
その後、ニカさんが商品におけるデザインの役割を過去の企業との仕事の進め方を実例を上げて説明した。(皆様のお役に立てましたら幸いです。)
最後には参加の中から3社の商品を取り上げ参加者全員で意見交換するというおまけもついて、朝10時から夕方5時過ぎまでのかなり濃厚な講座となった。

聴講者は18名ほどだったけれど、皆様自社の発展のためのきっかけをつかむためにご熱心にご聴講くださり、他社製品に関しても、フランクに自らの経験を生かしたコメントをいただいた。
聴講された皆様のお人柄のせいもあったかもしれませんが、会場の雰囲気は、とても前向きで気持良いものに感じました。
ニカさんと薬師寺さん(私も?)のコメントの中にはかなり辛辣な内容もありましたが、愛の鞭という事でどうぞご勘弁くださいませ。
商工会議所地域振興部の担当の方も、親身になって地場の方々の相談に乗っていらっしゃる様子が伺えて、皆様の熱心さには頭の下がる思いでした。

こういった地場産業を支える皆様の、熱心で真摯な態度にはいつも心を動かされます。私たちはこのようなお仕事のお手伝いができればと新たに感じた
1日となりました。

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                          ただいま講義中。

2007年10月11日

三輝ショー出展のその後

前回の日記で報告した(株)三輝のジャパン・ハウスウェア・トレードショーへの出展後の追加報告です。

昨日三輝の社長から電話をいただき、ショーに出展したモデルの再調整への協力依頼がありました。
なんと三輝のブースがTV放映された事もあり、ショーの後、商品への問い合わせの電話が殺到しているのだそうです。
ショーの翌日は1日100件もの電話があり「これじゃ通常の仕事ができないよ!」とはなんとも嬉しい悲鳴です。嬉しくて涙が出そう。
中には東急ハンズやイオン(IEON)等の大手からも問い合わせをいただいたそうで、バイヤーのアンテナの敏感さはさすがです。

社長の当初のお考えでは「自社のオリジナル商品を時間をかけて作ってゆきたい」というものだったのですが、あまりの反響の大きさに、
「製品の完成度をあげて早急に商品化しよう!」という事に進路変更。
社長は「これから忙しくて大変だよ。」とおっしゃりながらも、夢の実現へ向けて輝いているようにお見受けいたしました。

ニカさんとは「これがデザイナー冥利というものだなあ...」と久々のグッドニュースをしみじみと喜んでいる所です。

私もひとつ商品化したいテーマの卵を暖め中。夢の実現に向けて、社長の行動力を拝見しながら勉強させていただきます。

2007年10月05日

(株)三輝/ジャパン・ハウスウェア・トレードショーに出展

五月の末に友人から株式会社/三輝を紹介された。
三輝は大田区にある中小企業で、これまで「流体微圧感知式安全器」という厳つくも堅実な製品を作って「技術の日本!」の土台を支えていたような会社である。
しかし今回、社長の希望から「デザイナーを使って社長のアイデアを具現化し、10月の展示会に出品する」という輝かしいプロジェクトを立ち上げ、それに私たちも参加させていただく事になった。

初めて工場に伺った時は威勢良くガチャンガチャンと動く金属加工機の音に、現場パワーの力強さを感じながらも、商品企画もデザイナーを使うのも初めて、というギャップへの多少の不安はぬぐえない。
しかし、初対面で社長からアイデアの説明を受け、意気込みの強さと情熱を受け止めた事で、二人ともデザインをお引き受けする事を決心した。

その展示会が10月3.4日と東京ビックサイトにて行われたジャパン・ハウスウェア・トレードショー。
三輝の出品した製品は「詰め替えパックそのまんま」(ネーミングも社長です..^-^))。
シャンプー等の詰め替え用パウチへ直接ポンプを取り付けてお風呂場の壁に吊るして使うというエコ商品である。

私たちはワーキングモデル(実際に動くモデル)作成と展示用タペストリー作成まではフォローしていたのですが、その後の展示はお任せしていたので
会場で三輝のブースを見て社長の情熱がここまで実って良かったと実感。
初めての展示会で経験も無く、什器は流用品のため全体がちょっとゴチャゴチャして見えたり、パンフレットのデザインを印刷屋さん任せにしてしまってウ〜ン、などと反省点はありましたが、よくここまでまとめました。素晴らしい!
来場者の製品への反応も上々のようでしたので、今後の展開は社長の腕の見せ所でしょう。
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ここへ来るまでは紆余曲折多々ありました。ニカさんはもう少し構造に手を加えて全体をスッキリさせたかったようです。
でも最後に「一緒に仕事ができて本当に良かった」と社長から大変満足していただけた事を嬉しく思います。
私たちも中小の情熱がある企業とのお仕事は、とてもやりがいのある経験となりました。
作業にも構造変更にも時間は余分にかかったし、経験通りに事は進まなかったけれど、面白かったんです。
人生もお仕事も、大変でも面白い方が刺激的で、生きてる〜っていう実感ありますよね。

そんな訳ですので、心に情熱、腕に技術のある中小企業の皆様、エルグデザインは中小企業へのデザイン協力を惜しみません。
眠っているアイデアがありましたら是非ご連絡くださいませ!

最後に中小企業との仕事に目を向けさせてくれ、(株)三輝も紹介してくれた大学時代の友人ヤクシさま、感謝してます。ありがとう。

2007年09月05日

3D脳

エルグデザインの、ここ数年の課題として3Dソフト(平面図から立体を興し、レンダリングする)のマスターがあった。
最初に取りかかったShadeは工業デザインに向かない事がわかり、本格的に始めた3DソフトはFormZ。
サーフェイスとソリッドの違いもよく分からないまま、合計すれば10cm以上の厚さになるマニュアルを読みながらの作業のだけれど、これが思うように形になってくれない。
この時のPCはMac-G4だったせいもあるけれど、図形の移動だけでも複数の条件を選択する必要があり、マニュアルの意味は分かりにくいし、動きは遅いし、エラーは多いし、で眉間のシワを増やしては遠い道のりを思いため息をついていた。

そんな私の苦悶する姿を横目で見ながらニカさんはFormZからコンセプトアンリミテッド(Concepts Unlimited)への変更を決意。
そしてなんと購入から間もなくサクサクと使い始めたではないか。
私にも意地がある。せっかくどうにかマスターしたのにここでFormZを見捨てては今までの苦労が無駄になる〜。という腐れ縁のような関係をズルズルと続けたのだが、ついに見切りをつけた。
そしてMacG5対応のConcepts Unlimitedへ移ってみたら、なんと今までの苦労が嘘のように目の前に明るい別世界が開けたのだ。
(注/PCとソフトのバージョンの違いも大きいと思う)

一時は二人とも3Dモデリングに夢中で、気がついたら深夜だったという事もある。まるでゲームに取り憑かれた子供のようだったかも。
でも集中して経験を蓄積したおかげで脳が3Dに対応して再構築された気がする。
言葉ではうまく言えないけれど立体を考える時の脳の使い方が変わったような...そんな気分かな。
FormZでの経験も含めて、年と共に衰え始めた脳には良い刺激だったに違いない!と思う事にしよう。

今回は大田区の中小企業とのお仕事があったのだけれど、とっても役に立ちました3D。
デザイナーとのお仕事に経験のない方にも3D画像を見ていただけば形状を容易に理解していただけたし、ダミー用の構造検討も正確にプロットできたし、モデルメーカーさんにもデータを渡せたし、おまけに秋にあるショーに向けてのチラシやタペストリーに使う画像までにも使える働き者。
かかった時間を考えるとコストに合わない所が難点かな。
まあそれも授業料という事でしょうか。
3Dの今後はもっと幅広く展開できそうで、苦労も報われる事もあるなあ、と思う今日この頃です。

Erg Design Newsへ 

2007年08月27日

禁酒体験

ニカさんの胃からピロリ菌が発見されて半年、このたびやっとピロリ菌退治の投薬療法を行った。
この治療への腰が重たかったのは、薬を飲む7日間、禁酒をしなくてはならないという、気の遠くなるような悪条件のおかげだ。

私たちにとってお酒は料理を楽しむ上でなくてはならない物、大げさに言えば人生を楽しむ時間には欠かせない物だったので、ここまで休肝日なんて無しの皆勤賞!(...って自慢になるのか?)
それでもニカさんが決行を決意したからには私も一緒にお供しましょう、一週間の禁酒体験。

先ず夕飯のメニュー作りに困惑する。
今まではビールのおつまみから始まって、全体に酒の肴になる品が続き最後におしのぎという輝かしい流れだったのに、突然主食が登場するしかない。
おかげで食事時間はあっと言う間で、その後を支配するのは手持無沙汰な空気と長い夜。
近頃は夕餉には2時間位かけているのが当たり前だったけれど、人生の限られた時間の使い方という意味では一考の余地ありか。
この時間を勉強に費やしたら人生変わるかもしれない。
結局は考えたあげく(←真剣に考えているとは言い難いが..)
[適量のアルコールでリラックス+美味しく食す+脳が喜ぶ+話も弾む=生きる喜び&明日への活力!]という方程式から、晩酌は捨てがたい時間であるという結論に達したのでありました。(かなり強引だったかも...)

自信となったのは、途中禁断症状もなく、どうやら私たちはアルコール中毒ではなかったという事実。
これでまだまだ当分はゆっくり夕餉時間を楽しめそうです。
それがとてもありがたい事、と感じられるのが今回の1週間の禁酒の一番の成果かもしれません。

2007年07月25日

住めば都

私たちがここに家を買ったのは20年前の結婚の時。
まだ30代になるかならないかの私たちは「ここに住んでもせいぜい5年くらいだろう。」と自分たちの放浪癖を疑っていなかった。
だから家を買おうと決めたその日のうちに別段のこだわりなくこの家に決めてしまった。デザイナーとは思えない、若さゆえの無謀である。
あれこれこだわるだけのお金の余裕が無かったのが実情なのですが。

しかし...仮の宿であったはずのこの場所になんだかんだでもう20年、決して仮とは言えない時間を過ごしてしまった。
こんな事ならもっと気合いを入れて最初の家を探せば良かったのだ...。と後悔したのは10年も過ぎる頃からか。

しかし今では二人とも結構この場所の居心地が良い。
自慢なのだけれど、我が家は(築20年の田舎の建て売り住宅でリフォーム無し、にしては...)かなり奇麗だ。(内)の前置きがかなり長いか。もちろん私のセンスの良さと手入れのマメさによる賜物である。
庭にはいつの間にか百種類を超える草花が定住し季節ごとに楽しみを与えてくれるし、時折ご近所からは採れたての野菜や頂き物のお裾分けが届く。
いつの間にか隣の土地には緑に囲まれた私たちの事務所まで建ってしまった。これが住めば都という意味なのかも。

でも、ニカさんはどうしても海の近くに住むという夢が捨てられないらしい。
できれば海の見える家で、海釣りや自分の畑で新鮮な食材を得て、美味しい物を作って食べるんだって。今でも十分スローライフなのに、そこまで究極を目指すのか...。
おまけに畑の手入れは私任せになるのは最初からお見通しだ。

住み慣れたこの土地に残るべきか、夢の住処を探すべきか。
相変わらず、まだまだ移れるだけの財力はないけれど、思いを巡らせて別世界に飛んでみるだけなら楽しいけれど、実際にその時が来たら結構きつい選択になりそうかも。

2007年06月28日

不快なCMにもの申す

TVコマーシャルが良き時代だったのは昔のお話。近頃はとっても尋常な神経とは思えないCMが氾濫している。
先日書いた薄毛を「良くない事」という意識を植え付けるCMもそうだけれど、毎年この季節になると気になる不快なCMについて、ついに物言わせていただきます!

私は脅迫は大嫌いである。しかし、洗剤や除菌スプレーのCMで画面一杯に拡大されたあのダニや雑菌は脅迫以外の何ものでもない。「ほ〜ら、目には見えなくてもこんなにすごいんだから〜、買わないとひどい目に合うわよ!」と言いたいのが、恥ずかしいほど露骨である。
昔から多少のダニも雑菌も人間と一緒に暮らしていましたよね。無菌状態の中でしか生きられないようなヤワな人間ばかりになったら、少しの雑菌やショックで皆死に絶えてしまうんじゃないでしょうか。
それに実際はそんな商品を大量に使っても無菌空間なんてあり得ないのでやっぱり拡大すれば....。

それからもうひとつ、この季節の最悪シーン。
TV画面一杯に水虫の足へのスプレーシーンを映し出して平気な神経は絶対におかしいんじゃないでしょうか!
私はあのシーンを見てしまった後、なぜか見てはいけない人の裸を見てしまった後のようなバツの悪さを感じます。
そう、あれは人に見せてはいけないものなのです。
見ても不快でこそあれ、他のどんな感情も呼び起こしません。
制作者には、無神経という言葉を教えてあげたいです。
そしたらあんなシーンをお茶の間に流してしまった罪に気づく事もできるでしょう。

CM界の皆様、脅しや不快なシーンで一時の注目を集めたつもりでも、それに対する消費者の反応は「反感」かもしれませんよ。消費者はそんなにバカじゃないかも、とたまには疑ってみてくださいね。

2007年06月17日

悪い癖

私には10年くらい前から身についてしまった悲しい癖がある。
それは何かの結果や今後を想定する時、自分が「こうなるであろう!」と考えた事以外の結果が加わる事が多いという事実に、ある時ふと気づいた事から始まる。

例をあげれば、友人が待ち合わせになかなか現れない理由を「電車が遅れているのかなあ」とか「急用ができたのかしら...」などと想像していると、実は待ち合わせの場所が間違っていた!とか、人間ドックの結果では「ここが心配...」という所は全く異常がなくて別の所が再検診だった...。というようなささいな事の積み重ねなのだ。

それなら事前に悪い事ばかり想定しておけば、結果は反して悪くないはず!
なんてついバカな事をひらめいてしまった。

それ以来、例えば健康診断再検診の結果を聞きに行く時は「末期です。」までシュミレーションをしてから行くようになったし(笑ってやってください)、仕事の上でも最悪の状況を想定しておく事になった。
おかげで慎重にもなったし、少しはうろたえる事も少なくなったし、そして何よりも想定した最悪の状況から回避できているのだけれど、きっとそれは最悪を想定したからではなくて必然の結果なのである。
ならば事前の不幸な気分は味わうだけ損ではないか...という事に気づいてはいたのですが、悪癖はなかなか止まらない。

実は近頃は、今後仕事をどうやって進めてゆくか、どうやって生きてゆくか試行錯誤しながらの毎日です。
つまり、先は全然見えていない状態で、以前のように毎日が仕事に流されている日々よりも不安も希望も大きい。
こんな状況に陥った時、あの悪癖が突然姿を消したのです。

悪い事を考えている心の余裕も時間の余裕も無いっていう事なのかもしれないけれど、突然のやけくそ気味な気持ちの開き直りには自分でもびっくり。
未来を想像すると楽しい老後まで想像できちゃう。

ならばこれをきっかけに、これからは良い事ばかり想像する癖に切り変えよう。その方が想像している時も幸せだし、幸せへの一番の近道のような気がする。

これからはコンペにも参加するし、新規開拓の企業ともお仕事始めます。
上手く行かなかったら...なんて考えないよ。もうそれは飽きたから。

2007年05月24日

母のヘアーウィッグ

休日の早朝、長野の実家の母から電話で起こされた。
早朝の電話は不吉の前兆のようで嫌なものだ。不安な気持ちで話を聞いてみると、「これから4日ほど、予定が空いているので遊びに行っても良い?」という能天気なお電話。
この電話を朝の7時前にして、その日のお昼過ぎには東京に着いている72歳の母ってすごいと思う。
そもそも毎日が、畑だ、ハーモニカだ、墨絵だ、同窓会の幹事だ、コーラスだと家にいたためしがない。
夫亡き後、思いっきり自由を楽しめるなんて理想の未亡人像である。

そんな母と久々に立川の街を歩いていて、目についたのがヘアーウィッグコーナー。
もちろん好奇心のみで買う気もないのに、立ち寄って係のお姉さんに着けてもらう事になった。
所が、着けてみてびっくり!そこにいるのはすっかり若返った母なのだ。
私が近くで見ても地肌は自然に透けて見えるし、自分の髪との境目も全然わからない。
髪のトップのボリュームがこんなに人の年齢のイメージを変えてみせるのか...。...開眼...。
いつのまにか、ただのヒヤカシが本気の客に変身して目つきが変わっている似た者親子なのであった。

結局1時間ほど粘った後、お金なんてお墓まで持って行けないんだから自分のために使っちゃお!と購入を決定。
その後の母はウィッグを着ける事で、益々オシャレが楽しくなったとルンルンお婆さま状態。
つくづく、人を幸せにする商品ってあるんだなあと思う。

女性とはそんなささいな事で幸せになれる生き物なのだ。

しかし男性は薄毛ならきっぱりとそのままの自然体のままの方が潔い。
性差別と言われようが、男性とはそういうものなのだと女性の私は思う。
男性用の抜け毛やカツラのCMを見るたびに「自分たちの利益のために
薄毛を恥ずかしい事のような意識を社会に植え付けるのは犯罪に等しいのではないか!」とニガニガしい思いでいるのだ。そんなマヤカシに左右されてはいけない。

ちなみに、このウィッグをニカさんが着けてみたら、ヨン様には成りきれないあやしいおっさん。
私が着けてみたら立派なおばさんになりました。

2007年05月12日

お待たせいたしました

長らくお待たせいたしました。やっとホームページの工事が終わり、未完成ながらも再出発です。
これからは自分達で追加や更新ができるらしいので、新しい作品を手軽に発表できる予定です。

スタッフ紹介のコーナーの文面は以前のままです。読み返してみての感想は、前の更新から5年経つのに、私って情けないほど進歩がないなあ....。ですねえ。
しかし、世界が変わっているように感じるのは道具が進歩しているからで、人間という生物は2000年前から、もしかしたら一万年以上前からそんなに進化していないんじゃないか。
そう考えれば、我が身の進歩の無さも潔くあきらめられるというものです。
さすがにふたりとも外観上に若干の変化がありますがので近日中に写真は撮り直しますね。
(^-^;)..

先日は私達も無事、結婚20周年を迎える事ができました。
ほとんど毎日24時間一緒にいるのに、少しも飽きのこない愛すべきパートナーがいて、元気で働ける身体があって、信頼できる友達もいるなんて、ありがたい事と感謝しています。
この調子なら年を重ねるのもそんなに悪い事ではないかもしれません。
これからも私達は皆様に助けていただいたり、元気をいただいたりしながらもそろそろ少しは世の中に貢献して行かなければいけない年齢になったようにも感じています。

海外青年協力隊や、国境無き医師団の記事を目にするたびに、「デザイナーにも何かできる事ないかなあ。」なんていう夢のよう話はしてい るのですがそこまで輝かしい貢献はできなくても、まずは地道にできる事から一歩ずつかな。良い商品をデザインして、それがお客様に喜んでいただけ、企業の利益になる。という図式が一番実現性のある健全な社会への貢献ですものね。

ニカさんは今期から、デザイン学校の講師を再開しました。かなり厳しい先生らしいですが、以前教えた卒業生達は結構慕ってくれているようです。ニカさんのデザイナーとしての経験を、新しいデザイナーの卵達に伝える事ができるのならばそれも素晴らしい社会への貢献になり得ると思います。
 
今日は久々の更新だったので、近況報告と新年の抱負!みたいな気張ったまとめになっちゃいました。

2007年03月24日

突然の招集

大学時代の友人からきまぐれ招集がかかった。
「来られる人、集まれ〜!」の声に8名の熟女が池袋に集合。
青春を共にした友達は、10年以上も会ってなくても再会した一瞬で、す〜っと昔の関係に戻れる。
多分第三者から見たら、姿形は変わっているはずなのに当事者にとっては自分も相手も20代にしか感じられない不思議な魔法がかかったみたい。
しかし少しだけ違うものがある。
卒業して長い時を違う道を歩いて来て、また再会した友達は幸せも不幸も苦労も喜びも昔の失態も、何でも素直に話せる関係になっていた。
学生時代の肩肘張った親密さとは違った、女として生きてきた時間が作った懐の深さなのか。
多分、若い人から見たら私達おばさんなんだろうけど、結構みんな格好良くてイイじゃん!
それぞれの道で頑張っている友達に会って、元気をもらえて本当に良かった。

それにしても「ホテルメトロポリタンのクロコダインのランチビュッフェで11:30から4:30まで5時間粘って思いっきり食べておしゃべりしましょう!」
な〜んて無茶苦茶な企画だなあ...と思っていたけれど4時半になってみたら、まだまだ時間が足りず、語り足りず腹八分で解散した私達って...凄いなあ。
(会費はひとり¥2.800- お店の方すみません...
申し訳ないので宣伝しておきます↓)
http://www.metropolitan.jp/restaurant/crossdine/index.html
お料理の種類も豊富、デザートも飲み物あれこれ選べて満足です!

2007年02月04日

TV出演詳細

先日はせっかく生まれて初めてのTV出演をしたのでその時の詳細を記しておこうと思います。
製作会社はオフィス・トュー・ワンで担当ディレクターは伊藤さん。
昨年の11月のある日突然に「それでもボクはやってない」の映画のメイキングとして、映画のきっかけとなった矢田部事件をドキュメンタリー方式で再現したい。といった連絡をいただきました。
次の日には、はるばる青梅の事務所まで来ていただき、2時間程当時の話しをして撮影は改めて12月中旬に行われました。
撮影当日は運転手さん付きの大型バンがやって来て事務所内に機材が運び込まれる。 インタビュアーは伊藤さんなのだけれど、プロのカメラマンと照明さんもいてなかなか本格的な撮影となった。
「おお、すごい!ここはちょっと女優気分を味わっちゃおう。いえ、いけないわ、主役は矢田部夫妻よ。」
....気にしないでください。ひとり言です...

当日は私達のインタビューの他にも、実際に矢田部君の仕事をしていた机とか当時のスケッチも撮影。
インタビューや撮影は「それでもボクはやってない」の試写会の時やその後の支援メンバーの宴会、他の支援者等にも相当数の時間をかけて撮影されていたと思う。
1時間物に、なんて莫大な時間をかけて資料を揃えるんだろうと本気で感心。
そして先日1時間版のDVDを送っていただいたのだけれど「映画の宣伝と映画に対する監督の思いと痴漢冤罪の実情」というテ ーマに沿ってとても真面目に作られていたと感じました。
あれほど時間をかけたのに私達の出演はほんの数カットでちょっと残念でしたが、内容には充分納得です。

それにしても矢田部君って、すごい。
当時の複雑な想いを繊細な言葉を選んで表現していて、それが実感として微妙なニュアンスまでちゃんと伝わって来ました。
あつ子さんもすごい。
あふれて流れる泉のように、深層の思いを伝えていました。
もしかしてこの二人だからこそ神様に選ばれてしまったのではと思ってしまったくらいです。何の神様かっていうと...
おろかな人間共に一石を投じる神様なのか、映画の神様なのか...。
とにかくお二人の姿に、観た人にはとても深い感動さえ与える番組になっていたと思います。

私達はそんな番組を作る舞台裏が体験できて良い経験になりました。
伊藤さんはとても誠実な方でその後も色々とフォローしていただいています。

近頃は「あるある〜」の捏造番組が問題になってますが今回の経験から、真面目で意味のある番組作りを目指しているTVマンがいると知ってどこかホッとしています。
私も今回の経験がなければ、所詮TV局なんて視聴率を取るために悪魔に魂を売 る人達なんだ、と決めつけてしまっていたかも知れません。
でもさ〜、結局は関東地区は3時頃の30分番組になってしまってどのこらい視聴率がとれたんだろう。
誰にでも起こりうる冤罪事件に、真っ向から取り組んだとてもためになる番組なんだから都市部こそゴールデンタイムで1時間放映するべきだったと思うよ!

2007年01月15日

昨年は色々ありまして

自分のいい加減さは分かっているものの随分気紛れな日記の更新をしております。

昨年は意図せぬ激動の年となりました。
義父の突然の死と、それに伴うあれやこれやの問題発生から家族が落ち着くまでの動揺。
他にも問題が次々に発生し、軽く日記にするにはテーマが重かったです。
先日も書きましたが矢田部君の事件がなぜかメジャーデビューしてしまった事が決して明るい話しではないのですが公にしても気持ちの良いテーマでした。
(TV放映は都市部では本日30分に短縮されてありました。
地方では後日、地域によって1時間番組が放映されます。
なかなか良い番組に仕上がっていたので都市部こそ1時間放映して欲しかったなあ!)

ならばエルグデザインは暗く落ち込んだ毎日を送っていたのか...!
と問われると、実はそうでもなく「人生なるようになるって!」気分で愉快に過ごしている私達にはきっと明るい未来が開けているに違いありません。

エルグデザインは近日中にHPの更新をして新たな年の出発を始めます。
ってもう半月も経っちゃってるね。

体力、気力は充分!人間力には磨きをかけている最中です。
と言う訳で、エルグデザインを本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2006年12月12日

信じられないような展開ってあるもんだ

すっかり日記とは御無沙汰していたけれど、今年は何かと激動の一年でした。

2002.12.20の美子日記に書いた友人(矢田部君)の痴漢冤罪事件は、もう過去の事と思っていたのだけれど今年になって予想外の展開があった。
事件に興味を持った「Shall we ダンス?」の周防監督が痴漢冤罪事件をテーマに映画を作る事になって私達のメーリングリストに参加。
私達は自分達の経験を語る事ができたし、1日がかりで映画のエキストラも経験したし、スタジオでの撮影も見学させていただき映画作りを少しだけ内側から覗く事ができた。
そして今回「それでもボクはやっていない」という映画が完成し、試写会にも招待していただくという超VIP待遇!
今回の映画の主役は「裁判」というだけあって、ストーリーは矢田部事件とは違うのだけれど、私達が当時経験した検察や裁判官への不信感を非常にリアルに表現している。
経験してみないと信じられないけれど、これは痴漢冤罪事件に巻き込まれた男の、現実よりリアルなドラマです。
この映画は客を楽しませようとか、ヒットさせようとかいう欲を感じない。
真に司法に対する怒りを表現する為に作った映画だよ。
前代未聞とも言えるコンセプトのこの映画の公開は来年の1月20日、この映画は決して他人事ではありません。

更に12月5日には矢田部君と奥様のあつ子さん共著の「お父さんはやっていない」が太田出版から発売。
朝日新聞等にも取り上げられてます。
http://www.asahi.com/national/update/1204/TKY200612040456.html
(私達の事も少しだけ出て来ます。f(^_^;)

更に更に、映画とのタイアップでフジTVで矢田部君の経験を1時間のドキュメンタリー番組として放送する事になりTVの取材が我が事務所までやって来ました。
来年の1月20日放送で、ひょんな事からここに来て私達もTVデビューかもです。(カットされなければね!)

矢田部君とあつ子さんは本当に厳しい中を頑張った、堂々の主役です。
私達は、見捨ててはおけないと言う理由で夢中だっただけでこんな華々しい扱いを受ける程の事ではなかったはずなのに、ここに来て事件のおまけを好奇心から充分に堪能しています。

色々な事が思わぬ結果を持って帰ってくるから、人生は面白いのかも。
情けは人の為ならずって、見返りを期待するみたいであまり好きな言葉では無かったけど何も期待しなくても心の中に宝物ができるという意味かもしれないね。

2006年08月05日

長岡の花火

昨年の忘年会の時に長岡出身の池津さんから長岡の花火への熱き思いを聞く。
人間はどんどんエキサイティングな刺激を求めてしまう業の深いもの。しかも花火は、造った物を破壊する刹那を楽しむという極めて生産性の低いものだ。その為に町を上げて熱く燃えるというのか。よ〜し、どうせなら日本一、新潟長岡の花火を見に行こう!と決心をしてから早いもので8ヶ月。8月2日の当日は7時からの花火なのに5時から河原に集合。
池津さんと共に御一緒するのは富松さん。こういうハレの日は「すごいなあ〜!」と感動し合える仲間は断然多い方が良い。

信濃川の河原に設けられた会場は川幅1.2Km、橋と橋の間1.5Kmでかなり広大だ。両岸に観覧席が設けられていて、まだ日ざしの強い中を多くの人が集まって花火への期待に盛り上がっている。

長岡の花火に惜しみない情熱を注ぐ池津さんの元、良いポジションに10帖程のシートを敷く。それでも隣の席とは十分な距離がある。ゴロ寝して見られるなんて贅沢な花火だ。花火までの2時間は少しづつ日が暮れてゆくのを楽しみながらの極楽のビール。このゆっくり過ぎる時間があって良かった。花火が始まってからの2時間はあっと言う間に過ぎてしまったもの。立続けに打ち上げられるスターマインや橋に架けられた1.1Kmのナイアガラ。直径650mもの大輪の花を咲かす「正三尺玉」の美しさと空気の振動の迫力。最後、ジュピターの曲に合わせて打ち上げられた、地震からの復興を祈る花火「フェニックス」にはもう涙物でした。見とれながら飲むお酒は少々灰の味でこれも良し。

途中からは池津さんの奥様や友達も集まって賑やかだった。この人達がまた元気で面白い。こんなふうに花火が自慢で故里が好きで、そこにしっかりと根を張って暮らせる人生は幸せだ。

ニカさんの写した花火の写真はなかなかの迫力で素晴らしかったけれどこんなふうに文章にしてもやっぱり本物長岡の花火の表現には消化不良な感じです。
でも私の人生の中では今までで一番華麗な花火だった。

誰の中にもいくつかの思い出花火があって、
それは自分自身で体験した花火だからこそ宝物になるんだね。

2006年05月22日

実在したTVアンケー

ニュース番組など観ていると「独自の世論調査」などというコーナーがあって電話によるアンケートが行われているようだけれど「ホントかなあ..ウチに電話、来た事ないね。」と言っていたのがつい先日。
所が、それを聞いていたかのように突然やって来ました、電話アンケート。
21日(土)の夕方、たまたま私が実家からだと思って電話に出たのだけれど「TV東京のワールドビジネスサテライトですが電話世論調査にご協力願えますか?」というお電話。
あまりに突然で以外な事態に直面して、私の頭の中は一瞬カラッポ。
新手の詐欺かも...とか、個人情報が漏れるかも...などと疑ってはみたけれど、 面白そうなので覚悟を決めてみた。

質問内容を思い出して書き出してみましょう。
*小泉政権を支持しますか?
*次の総理には誰が望ましいですか?
*次の政権に何を期待しますか?
(小泉政権の継続、福祉年金、外交、景気回復、靖国問題の解決、国の安全、だったかな..)の中から選ぶ。
*次の選挙ではどの政党に入れますか?
*民主党は小沢党首で良いと思いますか?
*民主党が政権を取っても大丈夫と思いますか?
*好景気の実感はありますか?
*格差が広がっていると思いますか?
*この格差は今後どのようになってゆくと思いますか?
*ボーナスで余裕あるお金が入ったら何に使いますか?
*サッカーのワールドカップに興味がありますか?
*選手では特に誰を応援していますか?
*日本チームはどこまで勝てれば良いと思いますか?

という様な内容を、考えるヒマなく次々と本能のまま答えるという事は非日常で、なかなか脳に刺激一杯の体験でした。TVというマスメディアに自分の意見を堂々と言えるなんて快感。ちょっと癖になりそうです。
その実体はただのアンケートなのではありますが...(^-^;)

ワールドビジネスサテライトは以下のホームページです。
http://www.tv-tokyo.co.jp/wbs/
近々集計して放送されるらしいです。

2006年05月09日

自宅de楽園リゾート

色々と行きたい所もあったけれど、最終的に今年のゴールデンウィークは「思いっきり自宅でのんびりする」を選択した。

朝起きると、ニカさんいわく「今日は何して遊ぼうか!」
計画に沿って行動するのが苦手な私達にとってはなんて素晴らしき無限大の可能性を秘めたお言葉。
今日も宝物がいっぱい隠れている幸せな予感だ。

背中にお日様をポカポカ浴びながら庭の雑草抜きをする。猫が喜んで身体を寄せてじゃまをする。 冬の間は成りをひそめていた パンジー、桜草、牡丹、矢車草、都忘れ、撫子、小手毬、スズラン、椿、ツツジなどが日に日に輝いて花を咲かせる。
庭に居るだけで蜜蜂や蝶やカナチョロやミミズやモグラ達の命の息吹を感じて息苦しいくらいだ。
疲れたら 庭に椅子を出して読書&昼寝。
昼はニカさんがパエリアやパスタを作ってくれてご近所友達も誘ってのランチ&ビール。 ある日は久々の友人が訪ねてくれて、深夜まで話が尽きず、ある日はニカさんとどこまでも歩いて行き、2時間ほど行った先で見つけた蕎麦屋で一杯。
夕食にはご馳走を作って、まだ明るいうちからこれまた一杯。
全てがちっぽけな幸せの積み重ねなのだけれど、結局は毎日美味しく飲んで食べているだけなのだけれど、安上がりでも平和で満ち足りた自宅での一週間の日々に感謝。
いつも側にいて空欄を楽しみで埋めてくれたニカさんにも感謝。

あまり自分の事を幸せだなんて言うのは馬鹿げているけれど幸せは誰から与えられるものではなく自分で見つけるものだと思う。
これは近頃、幸せの見つけ方が少し上手くなって来た私の結果なのだと思って許してね。

2006年04月20日

花粉に押しつぶされる男とホルモンに翻弄される女

やれやれ、花粉の里青梅もやっと花粉の季節が終わろうとしています。
毎年この季節は冬の寒さから解放された幸せと背中合わせに花粉症の夫を持つ妻の悲劇もタップリと味わう事になるのです。

ニカさんは花粉症の季節、自宅では全くの別人に変身する。
話しかけても反応が鈍く、ギャグは笑えず、何をしても愚図でボケなのだ。
一番気に入らないのは目が死んでいる事だ。
全身から負のオーラが漂っている。
この時期はほぼ24時間一緒にいる夫を、なるべく見てみないふりをして毎日をごまかすしかない。

近年はなんとか薬を飲んでもらっているので花粉の症状は改善したけれどこの時期に私の生理前症候群が重なるとかなり危険だ 。

私の症状はこれも悲惨。
肌が荒れ、小じわ(近頃は小がつかない気もする...)が増え、 軽い腹痛も不快だけれど、一番の問題は性格が変わる事だ。
いつも気が長いとは言えない私が更に短気になって、マイナー思考になる。
少しの不幸もこの時期は倍増して私に襲いかかる。
多分、この時期の私からも危ないオーラが出ている事でありましょう。

そしてこの時期はニカさんの花粉症による変貌を許せない気分が沸々とわき上がって来るのだ。

多少の救いはこの精神状態がホルモンのせいだと自覚していて「これも一週間の辛抱!」と自分に言い聞かせ、我慢する事ができる事くらいかなあ 。
実際時期が過ぎれば嘘のように軽い気持ちになって、 「花粉の季節だけの辛抱辛抱〜!」と割り切る事ができるのだ。

たかが花粉やホルモンで簡単に別人になってしまう。
人格ってどこからやって来るんだろう...とつくづく不思議に思う今日この頃です。

2006年03月18日

春気分先走り

今年の青梅の冬は寒くて長かった。義父の突然の死で、気持ちも冷たかった。
おまけに正月を前後して長く家を空けていたので何年も冬を越していたはずの植物の多くが枯れてしまった。
だから今年ほど春が待ち遠しい冬は無かった気がする。
やっと先日、寒さが少し遠のいて来たので、少しでもたくさんの春を感じたくて
枯れてしまった観葉植物の替えと、春の庭花を買って来た。
喜ぶにも意気込みが肝心さ!と、例年よりたっぷりと買ってしまった。
しかし、喜んで鉢に植え替えたのは良いのだけれどまだまだ青梅の早春は寒い...朝なんて部屋の温度でも3℃かあ。
とてもじゃないから花も外には置けず、植え替えた観葉植物も室内でも凍らないよう に気を使う始末。
でも良いのだ。多少の不便なんて何のこともないよ。
私は半月分早く、春の幸せ気分を買ったのだもの。
本当は春が必ず来る事はずっと前から気づいてた。
冬の始まりの落ち葉の季節に、落ち葉の下からはもう新しい芽が芽生えている事。
どんなに寒い冬でも新芽は少しづつふくらんでいること。
それでも少しでも春を先取りしたいのは、日本人の心の贅沢と言えるのか、
それとも、ただせっかちなだけなのか。微妙だな。
今日も午後からは寒かったけど、Tシャツに半袖ニットにジーンズ(下にタイツ無 し!)でちょっと無理して、春気分先取り!..と思ったけど。
いや...寒い...先走りでした。

2006年03月10日

お久しぶりでした

時の経つのは早いもので、美子日記は随分のご無沙汰となってしまいました。
ご無沙汰が長くなってしまうと、次の一手に緊張し、踏み出す足が重たくなってしま うのは人の常。
かと言って、ご無沙汰のままでもストレスが溜まるもので、つくづく月並みな神経の 私なのでありました。
またぼちぼちと日記の更新を始めますので、宜しかったらおつき合いくださいね。

タイ&カンボジアの旅の後も、昨年中は平穏無事な生活でした。
一変したのが正月の4日。
前の夜まで楽しく一緒に正月のお酒を飲んでいたニカさんの父が次の朝の散歩中に倒れて、そのまま帰らぬ人に。心筋梗塞でした。
それからは、突然の喪主として心構えも無いままに葬儀を取り行い、 私の父の一周忌が重なる中で四十九日を済ませ、その合間に法事関係の雑務と仕事をこなすという離れ業。
やっとこの頃、仕事だけに追われる毎日という平穏な日々に戻れた所です。

残された義母の事や、お寺やお墓の事。様々な親戚の皆様とのおつき合い。他々..
ニカさんは初めて長男の大変さに気づいたそうで、(かなり遅い気はするけど...)
長男の会でも結成しようかなあ...なんて申しております。
結構身近に長男多いですものね。
全く、長男と長男の嫁は滞りなくやって当たり前。
ちゃんとやらないと、どこから爆弾が飛んで来るかは予測不能。
...スリリングです。私も長男の嫁互助会結成しようかなあ

この場を借りれば、義父はとても良いオヤジさんでした 。
去年の秋には一緒に伊豆へ温泉旅行に行ったね。
お義父さんは喜び上手だから、おかげでとても楽しい旅になりました。
嫌な言葉は口にしなかったし、回りの空気を和ませてくれる人でもありました。
嫁には遠慮があって気を使ってくれてたんだと思うけど良くしてもらうばっかりで突然お別れしてしまって、借りが残ってしまったなあ。
ここで褒めたからって、もう遅いよね。
せめてお義母さんを守っていきますので安心して待っていてください。

色々あるけど、私達はまだまだこちらの世界で怒ったり笑ったりして生きています。
美子日記はそんな生活の一場面と言えるでしょう。

2005年06月27日

今年の旅のテーマは遺跡とエスニック料理

6月30日からカンボジアとタイへ旅して来ます。
色々と世界遺産巡りをして来たけれど、やはり過去の人々が造った偉大な建造物からは想像を超えるパワーを受ける事ができる。
今回はカンボジアではアンコールワット、アンコールトム他、一度は訪れてみたかったクメール文明の空気を味わって来ます。
先日、貧困からの強盗のニュースが世間を騒がせたばかりだし、地雷に気をつけろだの、全日空も危ないだの、色々とありますが日本にいても100%安全なわけではなし、覚悟を決めて気を引き締めてます。
変わってタイではバンコクに滞在でタイ料理と東南アジアンな世界を堪能する予定。
ニカさんの叔父様がバンコクに在中してくれているのも心強い味方です。
今回の旅は2人ではなく、私の母も一緒の3人旅。
母は今年71才になるが、好奇心旺盛で元気いっぱいで体力もある。
父が亡くなってから4ヶ月、そろそろ新しい世界で楽しみを探しても言い頃でしょう。
実は10数年前に、母が大病をした後、良くなったお祝いに3人でヨーロッパを旅した事がある。
母はの性格はかなり面白いが、時にはわがままでもあるのだけれど、母曰く「前の旅行でのわがままは、今回少〜し反省している」らしい(^-^;)
ニカさんがそんな母を面白がってくれるところが救いだな。
とにかく日本にいてもうだる暑さの中、いざ!更に暑い亜熱帯のカンボジアとタイへの母連れの3人旅。
珍道中になること間違いなしか。

2005年06月08日

せんべろ探偵団

せんべろ探偵団というのは当然皆様ご存じないと思います。
中島らものエッセイにあるのですが1000円でベロベロになる、つまり安い値段で酔って良い気分になれる店を 探し求めて旅する企画です。
せんべろ探偵団は近頃のニカさんのマイブームで、今回はその世界では聖地との呼ばれている店に行くという事なので、私もついに参加を決意。
今回のメンバーはいつものせんべろのお供、多摩美の落ち研の後輩のタニシさんと私達の3人探偵団だ。
場所は十条の斉藤酒場。
ウチから交通費を二人往復5000円もかけてせんべろなのか...という究極の疑問は野暮だそうなのでひとまずおいておこう。
おまけに明るいうちから飲み始めるという幸せを味わうためにウチを3時に出発。
まったくばかばかしいほどの意気込みである。
斉藤酒場は十条駅前すぐの所にあって昭和30年代の居酒屋という感じ。
値段も一昔前といった感じでお酒は5尺で180円。
おつまみも150円から300円くらいが普通で、一番高価だったのが鯛のお刺身で450円だ。
店には5時に着いたのだけれどももう満席でサラリーマン風の人から学生からおじいさん達まで大きな自然木のテーブルに相席している。
客層がとても良い。安いからと言って飲みすぎて乱れたり大声を上げている人は無し。
皆にこやかに淡々と飲んでいる。とてもおとなしくて上品だ。
こんな雰囲気の中では逆に大騒ぎできない。
誰でもこんな居心地の良い所を追い出されたくないから昔の村社会のように、場所のルールを守るのだ。
店のおばちゃん達も良い。近頃の居酒屋のマニュアル的な対応でなくて人生経験を生かして客に応じて臨機応変に対応している。
料理は程良く値段相応だがここはとても気持ち良く酔える。
3人で思う存分飲んで7500円。せんべろにしては予算オーバーだけど
2時間ほどでゆとりの時間を味わって来た。
この頃は何処へ行ってもうるさい。客は客なんだからいいだろうと大騒ぎをして店員は大声で対応すれば客は満足すると錯覚している。間違いだ。うっとうしい。
町を歩くだけでうんざりすることがとても多いけど人生ってこんな所で幸せをみつけるととても幸せに送れる様な気がする。
次は3時頃から銭湯へ行って一風呂あびてから、明るいうちに飲み始める企画だそうで...
こうなるとスローライフというより御隠居じいさんの様相を呈しているようでもあるが、
どこまで極めるのか、せんべろ探偵団。

旅行記へ 

2005年05月17日

幸せな食卓

この春はニカさんが毎晩のように晩御飯のシェフを引き受けてくれた。
デザインのアイデア出しで煮詰まった頭を切り換えるのには料理を作るのが良いそうで、 (実際、仕事中はピリピリしてて近付きがたい感じなのだけれど) 料理の支度に入るとウキウキしている。その対比はあきれる程お見事。
ここで私が料理法に口をはさむと、せっかくの上機嫌に水を差す事になるので すべて一任して楽しみに待つのがお互いの幸せというわけだ。

メニューは日替わりで、時々新鮮な創作料理で驚かせてくれて、なおかつ美味しい。
盛りつけも凝っていて、見た目にもご馳走だ。
ビールのおつまみにはトロトロのオムレツなんかをさっと作ってくれるし 手早く煮込むのにゼラチン質と油が溶け出した煮魚も旨い!
出汁には「ううっ...」と絶句する程、盛りだくさんの鰹節を使うし、 カレーは前日から仕込んでいる。これらは主婦にはなかなかできない余裕。
鍋料理だけでも、本格キムチ鍋、けんちん汁、きりたんぽ鍋、 牡蠣の味噌鍋からお粥ロワイヤルまで色とりどり。
以外にも半端な残り物を利用して無駄なくし調理してくれてしかも全体にダイエットに配慮してカロリーは控えめにしてくれている(つもりらし い..)。

ああ、なんて私は果報者なんだろう。
美味しい物は食べればすぐに幸せな気持ちになれる魔法の薬だ。思えば父が亡くなる頃もこの美味しい食卓に寂しさを救われて来たのかも。

しかし、幸せはそんなに長くは続かない。
そんな生活を2ヶ月続けて二人とも2Kgづつ太ってしまった。そして近頃はやむなくダイエット清貧定食に戻す事となる。 我が家の清貧定食には「清貧の掟」というのがあるのだがそれはまた次の機会に。

2005年02月27日

父の死

2005年2月21日午後5時父死す。享年75才。
父は昨年の春に胃ガンの手術をし、一度は回復の兆しがあったもののやはり病魔には勝てず、1月に再入院。
そして、その後はあまりにあっけなく逝ってしまった 。

死の一週間前に見舞った時の父はまだ歩く事もできるくらいで、 暖かくなる頃には良くなるからと頑張っていた。
私には、数日付き添い痛む身体をさすってあげたのが最後の思い出になってしまった。

21日昼過ぎに母から「今夜が峠になるかも」との突然の連絡が入り急いでニカさんと実家に向かったが結局最期には立ち会えなかった。
あと数時間、待っていて欲しかった。立ち会えなかったのも宿命か。

実家にて父の亡骸と対面しても、これが父だという実感がわかず。
ただこれから最後のお別れに来てくれる方々になるべく父の良い顔を見せたくて、母と色々工夫した。
父が話せたら「もういいから放っておけ」と言っただろうなあ。

父は酒を愛し、田を耕し、書を趣味として、高校教師を天職としてまっとうした。
少々頑固な所もあったが清廉潔白な人だった。
父の入院時から卒業から数十年もたつ教え子が千葉や東京、大阪からも大勢訪ねてくださり、 葬儀の参列者も500名を超え、多くの教え子達も遠くからはるばる駆けつけて父を偲んでくださった。
お金持ちでも有名人でもなかったけれど 人々に信頼され、いつまでも教え子の心に残る教師だった父をとても誇りに思う。

不治の病の痛みで苦しんでいる父がいる時よりも 天国で見守ってくれていると感じられる今の方がどこか気持ちは楽だ。

でももう私達が実家から帰る時、「野菜を持ったか、米はあるか」と心配してくれた 父もニカさんに朝から「隆君やっぱりビールを一杯飲もう」と飲ませて帰宅を1日遅らせ てしまう父もいない。

私も最初は気づかなかったけれど、ニカさんと父は人間の本質がとても良く似ている。
優しいのに愛情表現が不器用な所までそっくりだ。
でも、父が悪くなってから何かと気使い、優しく元気づけてくれたのもニカさんだ 。
だから私達の事は父は安心してくれていたと思う。

結構私、親孝行だったしね。母も最後までしっかり看病したし、 善一郎(弟)も喪主をきっちりできたしね。孫達も随分泣いてくれていたよ。
亡くなってすぐにニカさんの両親も駆けつけ、4日も付き添ってくれて心強かったよ。
キリがないからもう思い残す事はないよね。

それではまたいつか会える日まで、さようならお父さん。

2005年01月04日

!!!私が詐欺に遭いそうになった話  番外編!!!

長くなってしまったので、お忙しい方は最後だけ読んでね。

昨年12月のある日の夕暮れ、立川駅前の広場にて 。
家路を急ぐ私は後ろから、「すみませ〜ん!」と声をかけられた。
振り返ると、年は25才くらい、丸顔で人の良さそうな笑顔のお姉さんだ。

お姉さん「あなたの人相がとても良いので、つい声をかけてしまいました!」
私   「そうおっしゃるあなたは、かなり怪しい人ですね。
     今日は何かの押し売りですか?」
お姉さん「とんでもない!私は占いの会社に勤めていて 、
     今日は講習の帰りに偶然あなたを見かけたのです。」

それからお姉さんは私の手相を観させてくださいと、手を握ったまま、
いつまでも離してくれない。そして、褒める!褒める!
あなたはとても情が深くて優しいだの、美術系のお仕事をしてるだの、頭が良いだの 、
人を引きつける人だの、長女相でしっかりしてるだの、人から誤解されて
傷つく事も あるだの、短命でないだの、とても徳のある顔なので先祖に誰か
徳を積まれた方がいるのではないか、etc...
..言ってて自分で恥ずかしいよ。(その割には書いたな)

でもその話が結構ポイントをつかんでいて、ついつい話に引き込まれるオバカな私。
そして、これも何かの縁だから特別に無料で姓名判断をして郵送してくれると
いうのだ。
迷ったけど、人の良さそうな彼女を信用することにして、
生年月日と名前と住所を教えてしまった。
(迷った割にはニカさんの分まで..)
そして色々話をしているうちに、この頃気分が沈滞ぎみだったのに、
なんとなく元気が沸いてきた。
そうか、私には自分で気付いていない未知の可能性がまだまだあるのかも!
な〜んていう気持ちになってきたのだ。

次の日、なにげなくネットでその娘の占いの会社「天真堂」
(三鷹市下連雀 3-34-13)を検索してみた。
この時点では、ただ「どんな会社なのかなあ?」程度の気持ちだったのだけれど
、 検索してみて、びっくり!これが詐欺の被害者のサイトにヒットして
「この会社は統一協会系で、街で声をかけて来て占をしてくれ、住所を聞き、
更に別の占いを郵送してくれた後、あなたは今大切な時だから上の偉い人が特別 に
観てくれると言うことで会社に呼ばれ、そのうちに高い壷や印鑑を買わせる、
買わないと嫌がらせを受ける」という寒々しい内容。

(統一協会の方がいたらごめんなさいね。
でもだまして高い壺を売るのが宗教とはどうしても思えないので)

ショック!本当にあの娘は私をカモにしようとしたのかなあ。
地道にやればなかなか良い占い師になれそうだったのにね 、
高い壺なんか売らなくってもさ 。
たとえば私の手相を観ながら「身近な人に教育者がいますね。」なんて言ってたけど
、 私の父も教師だったし、ニカさんも講師をしてたから、「なかなか凄いなあ!」
なんて感心してたのよ。

そして数日後、「天真堂」からお決まりの姓名判断が届き(あまり当たってない)
そして、2日後、「天真堂」の別なお姉さん2からお決まりの電話が入りました。

お姉さん2「天真堂ですが、占いは届きましたか?」
私   「ありがとうございました。でもこちらはあまり当たってないみたいです。 」
お姉さん2「そっ、それは簡単な占いですから...実は上の者があなたのような方と
      直接あってお話したいと..」

ここまでシナリオ通りに来て、ここから先が違うとも思えない。

私   「そちらは統一協会の会社ですよね。」
お姉さん2「そっ、それはありませんよお。なんで〜、誰がそんな事を..」

その後お姉さんの言い訳、弁解が続く...

私   「所で、私にどうして欲しいのですか?」
お姉さん2「こちらはただ、占いが届いているか確認したかったので...」
私   「届きました。これからは占っていただいた事の良い所だけ信じて
     生きて行きます。ありがとうございました。」
お姉さん2「そうですか、ガチャン...」

それでお仕舞い。我が家に不釣り合いな高額な壺が置かれる事態は避けられた。

でも、今でも心のどこかでは先のお姉さんの占いを信じたい自分がいる。
あの日に貰った元気は本物だったもの。詐欺で帳消しにしちゃうのももったいない。
そうだ、占いは図々しく、良いところだけ信じて勇気を貰おう!
そういえばニカさんも送られて来た占いの良い所だけ読んで喜んでいたものね。

最後まで書いてみたら、トホホだったのは長い時間かけて一銭も儲からなかった
「天真堂」さんの方だったかも。

「最後に総括」
天真堂(鑑定の会社/別名の会社もあるらしい )
この会社は統一協会系で、街で声をかけて来て占ってくれ、
住所を聞き、更に別の占いを郵送してくれた後、あなたは今大切な時だから
上の偉い人が特別に観てくれると言うことで会社に呼ばれ、そのうちに高い壷や
印鑑を買わせる、買わないと嫌がらせを受ける。という怖い会社です。
ですから街でたっぷり占ってもらって、良い所だけ信じていい気持ちになって
その後はどこに呼ばれても決して行かないようにしましょう!

2004年06月16日

モルディブへ

明日からインド洋に浮かぶ珊瑚礁 の島と
宝石に例えられる美しい海のモルディブへ出発です。
私たちの滞在する島は徒歩で一周しても20分程で
コテージと海以外は何もないという真にシンプルな環境。
ここで味わいたいのは何にもない世界でしばしのリセット。

しかし、昨夜見た悪夢は何だったんだろう。
待望の島へ降り立つと、車の雑踏と
安いビジネスホテルが乱立していて途方に暮れる夢。
う〜ん...私は一体何を恐れているのでしょう....

とにかく旅での時間はいつまでも色濃い印象として残る。
毎日があっという間に流されていく中でのはかない抵抗か。

今回は現地のホテルのフロントにエジプトで知り合った友人の
ハナンさん(日本女性)がいてくれるので、
また別の愉しみ方もできるかな。

というわけで、明日から24日まで、行って来ます!

2004年05月10日

父の入院

4月初旬に父が胃ガンで入院して末に手術があった。
最初実家から入院の電話があった時は、 「ガーン、とうとう来るべき時が来たのか..」という感があったけど 私のこの月並みな感じ方はもう古いみたい。
今どきはガンの事実と治療法を本人に隠さず説明し、 良くして行きましょう!という事らしい。 父も淡々としていて「まだ死なないよ」とのこと。 おかげさまで手術はうまくいき、タバコもお酒もやめているから顔色も良い。 元々痩せてて仙人みたいな父だったけど、案外人間って粘り強いものなんだなあ。 二晩だけだったけど私も病院に泊まって若干の孝行ができたかも。

そんな中でも人間の生活っておかしなもので、 手術の当日、摘出した患部を見せられて意気消沈して帰宅した弟に
お嫁さんの出した夕食がたまたま「モツ煮」で、更に気分がドン底に落とされた事件や 母が病院用にと白いタオルをと用意して、息も絶え絶えの手術後の父の枕にかぶせたら たまたま「飯田メモリアル〜(葬祭場...)」と印刷があり、その場が凍りついた事件。 更に父が枕が高いというので母が枕をボンボンとたたいて凹まそうとしたら
その振動で父が激痛悶絶だった事件と、かなりブラッキーなお話を重ねつつ、 甥達はニカさんをトランプ相手に少しも離さず深夜まで大騒ぎ。 人間、苦しい時こそシリアスになり切れなくて なんとか乗り越えて行けるものなのね

さてさて父も快方に向かっているようで一安心。 私たちはこの夏のモルディブ行きを決めた。 違う事のようで根っこは一緒。 人間生きてるウチが花だもの。

2004年01月12日

2004年も最初は白紙

月並みに忙しい年末を駆け抜け、 月並みに穏やかなお正月をニカさんの実家で送り、 月並みな今年の目標は「減らせ贅肉、増やそう貯金!」なのである。 これが平和ボケの中でマンネリ化した自分を変えていく第一歩なのだ。

体重に関しては、前に「7kg減った!」と勢いで日記に書いたので、 友達から嫉妬と賞賛の反響があったのだけど、実はまだ道半ば。
合計8kgは減ったけどベストまであと4kg...(^-^;)
トホオ..なんで私、あんなに太っちゃってたんでしょう。 それでも今は身体は軽いし、洋服も(多少は..)色々着られるようになるし、 痩せなくては、という重荷からも解放されるし、 手っ取り早く自分を変えるには外見効果 は断然有効。

貯金はですね、少ないんですよ。
二人とも無駄使いするタイプじゃないんだけど、 ローンも随分あったし、エンゲル計数が高いことも問題と指摘されていますね。 ..って他人事じゃないのよね。 何をするにも、始めるのにも、気持ちの安定の為にもお金は必用さ。

そのためにも今までのマンネリの自分から一歩踏み出すのだ。 重たい脂肪を脱ぎ捨てるように自分の殻から抜け出す。
おっ、これってやればできなくもないかも。
去年独学で一通りさらった3Dソフトのスキルを今年は確実に物にしたいし、 パソコンでなく実筆で絵を描く事をまた始めたい。

なんだか随分アカデミックにまとめてるな〜。
理想的すぎるかなあ。
まあ新年は真っ白な気分なんだから今の所は許してね。
毎年、年末はドップリと汚れてクタクタになっちゃうんだから。 それでは今年も、スタート!

2004年01月11日

2005年もよろしく

2004年の秋から終わりにかけて我が家では健康診断と再検査の嵐だった。
まずは私が乳ガン検診のマンモグラフィーでひっかかり、 その後、ニカさんも緑内障の疑いと胃の再検査でひっかかった。
私は気になるホクロも取った。
様々な再検査の結果は問題なしで取りあえずは一安心 。

大人になると臆病になる。
生きて行く上での不安な情報がどんどんインプットされるのだからやむおえない。
あああ、不摂生しても健康に何も不安の無かった頃が懐かしい...

年末はスマトラ島沖地震の津波で、半年前に訪れたばかりのモルディブの楽園も 消失してしまった。
諸行無常のはかなさが身にしみた。

世の中不安な事ばかりだけど、その度に動揺してても始まらない。
楽しい日も、辛い日も、その日の自分を淡々と受け入れて生きてゆく。
そんな風に生きられたら楽だろうなあ。
それが解脱という事なのかもしれないけど、私のそこまでの道はまだまだ先が長そうだ。

昨年は自分の書く文章を公開する事が恥ずかしくなって日記はご無沙汰してしまいました。
(昔の文書を読み直したら、ちょっと赤面)
恥を知るなんて、少しパワーが衰えているのかも。

今年2005年はどうなる事か、自然体で行きますので今年もよろしく!

2003年12月02日

散歩道

通勤時間ゼロという生活のために当然ながら毎日運動不足。 そんな中でエルグデザイン一同のささやかな運動が散歩です。 ウチの回りは農道や霞川の遊歩道があるので気分は毎日田舎への旅行気分。 しかし、時には異次元へ旅してしまう事もあるのです。

ウチから徒歩3分の「人呼んで、青梅サファリパーク」は、普通の民家なのだけど、道の脇に檻がいくつも並んでいる。 そこに飼われている動物達はすでにペットの域をはるかに超えていて、 ロバ3頭、他、ヤギ、ウサギ多数、犬、鶏、は当り前。 檻にガシガシとぶつかっているのは...いのしし。 黒いものがうごめいていると思うと...それは、カラス。なんで? さあ、ここを通過すればあなたもすでに異次元空間の入り口です。

ある日の散歩ではニカさんに向かって「おじさん、外人でしょ〜?、外人でしょ〜?」 と叫びながらついて来るニッポンの小学生達がいた。 ニカさんは茶パツでもなければ足も長くない、 どこからみてもリッパな日本のおじさんです。 そりゃあヒゲは生えてるけどさあ..やっぱ、からかわれたのか。 それともアンタ達が宇宙人?

またある日は見知らぬ小学生の女の子から、 「ねえ、ウチに来て遊んで行って!」と誘われた事もある。
「誰にでもそんな事いったら危ないよ」と言ってはみたけれど 小学生とはいえ、知らない家に誘われるのも恐いものです。 もしかしたら山姥かもしれないしね。

ある奇跡の日は「今夜の夕飯に青物の野菜が欲しいなあ...」と考えていたら 目の前の農道のカーブを曲がった軽トラの、ほうれん草の山から一束落ちて来て
そのまま走り去ってしまった。 キツネにつままれた気分だったけど、その晩に食べたら ちゃんと普通の(しかも採れたての)ほうれん草の味でした。

ある夜は街灯もない真っ暗闇の道を歩いていたら、どこかのお兄さんに 「すみませんが..この道を薄いピンク色のシャツを来た人が通 りませんでしたか?」
と訪ねられた。お兄さんには回りの景色が何か見ていたんでしょうか。 心の目かなんかで...

昨日は少し薄暗くなった頃... 農道でおじいさんとすれ違ったので「こんばんわ〜」と挨拶した。 でも...おじいさんはムッツリ無言...無愛想なおじいさん...
と、スレ違うと同時にブッブブブ〜〜〜ブ〜、と長〜いオナラの御挨拶。
雰囲気としてはギャグではなさそうです。 とにかく今逢ったのはおじいさんの格好をした妖怪だと言う事で納得するしかありません。

時には恐怖に、時には奇跡に満ちた、摩訶不思議な世界が ちょっとしたはずみで日常と繋がっているのは面 白い事で、 たかが散歩と言え、なかなか奥は深いものです。


旅行記へ 

2003年10月27日

人間ドック

1年に1度、人間ドックを受ける。
これがなかなか体力が必要なのだ。
バリューム飲まされて、右向けだのうつ伏せになれだの言われてグルグル回される。暗い部屋に入れられて、急に目に思いっきりピシャッと眩しい光や空気玉 を当てられる。あげくには血は取られるわなんやらで、最後は皆、病人の有様と化してしまう。婦人科検診もけっこう痛いしね。こんな試練に耐えられたんだから、まあ大丈夫って事なのか。健康じゃないと受けられない健康診断っていうのも変だなあ。

私は気が小さいから、診断の結果を知るのが、実はすごく恐い。 前に一度、便検査が陽性で再検診となった事があって、かなりブルーな気分で病院に 出かけた。 所がそこで医者は「それじゃ、大腸ガンの疑い有りとでもカルテに書いておきましょ うかね」 などと医者にあるまじき超無神経な爆弾発言!
あんまりなので「先生、そんな事言って私が自殺しちゃってもいいんですか?」 と言ってやると、「アッハッハ、あなたは自殺しませんよ。」と言われた。ひどっ...

そんな事も経験してるのに、やっぱり今だに結果は恐い。最悪を覚悟しておけば、それ以下はないんだから なんとか立ち直れるだろうという自己防衛本能なのかもね。

しか〜し!、去年からチビチビながらも合計7kgのダイエットに成功していた私。 体重も屈辱の肥満から脱出し、高めだったコレステロールも平常に戻って 結果 はすべて、全然問題無しでした。ニカさんも若干の高血圧以外は問題なし。

デザイナーの仕事は体力勝負です。
これでなんとか当分働けそうって事です。

2003年09月27日

孤独な星なのに

「もしかして@宇宙人に逢える確率」を考えてたんだけど、 「天文学的数字すぎてありえない...」という残念な納得をしてしまった。

果てしなく続く暗い宇宙の中で、地球はなんて孤独な星なんだろう。 そのかわりに、私達は奇跡的な確率で、やっと生まれて生きていると実感。

この地球で私は、あわただしいながら、 当り前のように平和で穏やかな日々を生きている。

しかし一方では連日テロや戦争で世界中で多くの人々が死んで行く。 暴力による報復は更なる暴力しか生まないのにね。
どう考えてもこのままでは最後の勝者なんてありえない、 全員が敗北者になるまで続くしかないのが分からないのかなあ。

今年の夏は世界中が異常気象で、 寒い夏を終えた9月の東京は真夏と初冬が交互にあった。

地球のほんの少しの気紛れで天気なんて夏から冬へころっと変わる。 こんな地球のままでは、長引く不況とは言え安全なはずの日本も 状況は何時ころっと変わってしまうかもしれない。

少し前に観た、中国映画の「HERO/英雄」は良かった。 「戦いは続ける事が目的ではない」っていうメッセージは率直でした。 映像もとても綺麗だったし、この頃の中国、頑張ってるなあ。

2003年09月02日

サブかった夏

6月の末からニカさんが体調を崩した。
鼻水とクシャミが止まらない。
内科医からは夏風邪でしょうと言われ、 風邪薬を飲んで安静にしていたのが間違いの始まり。 どんどんひどくなるので耳鼻科に行ったら、 実はアレルギー性鼻炎で、風邪薬によって 更に症状を悪化させていたのだ。

常時両鼻完全不通、鼻のかみすぎで鼻はボロボロ、 クシャミは止まらず、顔の左半分が化膿して、 痛くて腫れて、歯まで痛い! という、まるで死病にとりつかれた有様の苦難の1ヶ月。 おまけに仕事は苦しい中のアイデア出しで最後のダメ押し。

もちろん御機嫌は麗しい、はずもなく 何を話しかけてもろくな反応がない。 背中を丸めて、まるでイジけた猫みたい。

腫れ物にさわるような 毎日が続き、さすがの私も窒息ぎみ。 ず〜っとこのままだったらどうしよう...

それでも8月半ばになって症状が軽減していつものニカさんが帰って来た。 冗談は言うし、会話は噛み合うようになったし、食事も美味しそうに食べてくれる。 実はこれだけでとても幸せな事だったのね。 と、ここはささやかに悟ってしまうしかないか...

回復した本人曰く「一番の心配は、両鼻が詰まっている時に強盗が来て 口にガムテープを貼られたらどうしようかと思った〜」ですと。

そんな心配よりもう少し他に気を使う所があるんじゃないですかい? 今年の夏は天気も気分も、寒くて重〜い夏だったね。 皆様も鼻づまりの時はお早めに、耳鼻科へどうぞ。

2003年05月27日

情けは人の為ならず

日記には書いて来なかったけれど、この2年と少しの間、私達の生活にとってとても大きなウエイトを占める出来事があった。

友人が遅緩冤罪で逮捕されて一審で実刑の有罪判決。 長い戦いの後、高裁でやっと無罪を勝ち取りこの春無事、社会復帰を果 たしたのだ。

彼は痴漢などする人ではない!という確信の元、何の証拠もないのに女性の言い分だけで逮捕され、生活をめちゃくちゃにされるという不条理と戦って来た2年だった。中には、ここにはとても書き切れない程たくさんの物語りがあった。

彼の勝因は無実であったと言う事実と、戦う気持ちを捨てなかった事。(恐ろしい事に、いまだに無実でも実刑という冤罪がなんと多い事か) そして家族をはじめ多くの仲間が支え続けて来た事だったと思う。 メーリングリスト上で裁判の情報を公開し合い、署名を集め、時には励ましたり、バカな事言って緊張をほぐしたり...
支援の会は、会長、副会長を始めとして皆本当に良い人達でした。 何の見返りも期待しないで他人の人生の為に協力できる、 無欲の人達がこんなにいるなんて、人間も満更ではないよね。ああ見えてもニカさんが情に厚いという事を知ったのも収穫でした。

思うのは、「情けは人の為ならず」情けはいつかかけた人に情けとなって帰って来る、という意味かと思っていたけど、今回の経験で実はもっと奥の深いものだと気付いたなあ。

自分の良心に偽る事なく、力を尽くし勝利した事によって得た充実感。素晴らしい人々との出会い、いままで知る事のなかった世界の仕組みを知って 物事の考え方が変わった事、etc.
この体験で得たものは計りしれない程の宝物でした。 きっと支援してくれた皆さんには同じ宝物がみつかった事でしょうね。

そんな支援の会がこれで円満解散です。
解散は喜ばしい事だけど少しだけ淋しいね。

2003年05月05日

お疲れGW

今回のGWは4月28日〜5月2日までの4泊5日の日程で ニカさんの両親が我が家に滞在でした。

たまの親孝行と張り切るのだけれど、 なんてったって一番のプレッシャーは、 義母トモちゃんのおしゃべりにつきあわなくてはならない事。
これが半端じゃないのよ。
朝、私が顔を洗っている時からもう後ろに立っておしゃべりが始まって、 御飯を作っている時も、洗濯を干す時でも、庭に出れば庭に、 新聞読んでいる時でも、もちろん買い物中も、ず〜〜〜っと私に付きっきりで 次ぎから次ぎへと良く話題が尽きないものだと感心する程しゃべりっぱなし。
...それも主語が無いので理解するのに一苦労。

気の良い人だから意地悪なわけではなくて、 色々が珍しくて側で見ているのが面 白いから、観察ついでにおしゃべりしてるのだと思う。
逆に、じ〜っ....と黙って見ていられたらもっとすざましいものがあるけどね。 おかげでトイレに逃げ込んでもしばらくは耳がガ〜〜ンとしてて放心状態。 ニカさんもあの手この手で協力はしてくれるのだけれど、 相手に悪意があるわけではないので効果的な打つ手なし。

それから料理のメニューにも一苦労。
お肉、豆腐、洋風料理一切ダメ、和食ひとすじのトモちゃんと、 なんでも喜んで食べてくれるのだけれど、毎夜うどんがイイ暦40年の義父さん。 味つけや御飯の固さの好みまで皆バラバラ....。

努力の甲斐あって二人とも無事喜んでお帰りになられたのは良かったけれど、 後に残された私はもう抜け殻。 できれば当分ひとりで部屋に引き隠りたい、お疲れGWでした。

2003年04月07日

ダイエット大作戦

とうとうニカさんが高血圧になってしまったのをきっかけに、 病院で栄養士さんから減量減塩食の講習を受けた。
一石二鳥とばかりに私もダイエットを決心!
実は私の方がヤバイのよね...

基本は1単位80kcal(御飯なら小さい茶碗に半分くらい、食パンなら半分、 バナナなら1本)を1日20単位、 合計一日1600kcal程度に抑えて行くというもの。
田舎育ちの癖が抜けず、「食卓には食べ切れない程お皿が並ぶもの」 としていた価値観を撃ち破るのにはまたと無いチャンス!
毎日夕食分として10単位程残しておくのだけれど
、 ビールとお酒分を抜いたら残るは7単位。 結果として、いくら食べても良いという野菜メインの清貧な食卓となる。

希望的計算で毎日若干多めにカロリーを取っていると思うけど、 1日にそれなりには食べられるのであまりストレスなく1周間で1Kg痩せました。

昨日は晴天の国立で友達と御花見。
その席で大学時代の友人のたまった、
「ビコちゃんは学生時代はすごくスタイル良くって綺麗だったのよ〜」 というかなりな嫌味をバネにして、来年の花見はみてらしゃいね 。

遅ればせながら一花咲かせてみせましょう。

2003年04月02日

反戦!

子供の頃TVのコンバットを観てからずっと戦争が恐い。

今は恐いというより実際に被害を受けつつある人々の気持ちを思い胸が苦しい。
この戦争は後世に、決して終わらない戦いの連鎖を残す愚かな戦争だ。 そもそもイスラムの世界をアメリカ的民主主義に変えるなんてよけいな御世話。 猫に今日から犬になりなさいって言うようなもんでしょ。

猿が洋服を着てるとしか思えないブッシュ君。(お猿さんゴメンネ!)
この戦争の傷を最小限におさえ、後世に史上最低の大統領と言われたくなければ、アメリカがアラブ社会に心からの謝罪をするしかないと思う。
「今まで自分達の利権の為、力ずくで押さえ付けようとしてごめんなさい。 イスラム社会を理解しようともしなくてごめんなさい。 なにとぞ、これからはお互いの文化を尊重しながら、共に平和への模索をしていただけませんでしょうか...._(_^_)_  ところで暴君サダム君でお困りでしたら相談にのりますよ」
このくらい言わないとイカン!
無理なら先の汚名を甘んじて受けるしかないね。

東京は桜が満開。
地球が傷付いているから、東京の桜も今年は乱れ咲きかな。

2003年01月24日

一本の電話から

長野の実家にいた頃は、お年取りやお正月には様々な行事や儀式があって、 一年の区切りを自覚できるシステムだったのだけれど、 元来信心深く無いせいで、お正月をおごそかな気持ちで過ごす事もなく、 気がつけばもう1月も後半かあ!

今年は始まった早々に意外な一本の電話が入った。

それはもう40年近く前、まだ幼い頃別れたままになっていた、 ひとつ違いのいとこ「アツヒロクン」(実は漢字を知らない...)

父の弟は大学野球の投手時代にせき髄に受けた球が元で身体をこわし、 若くして「アツヒロクン」を残して亡くなったのだけれど、 奥さんはその後再婚して連絡も途絶えたまま。
だから「アツヒロクン」はこのまま記憶の隅に埋もれたままで終わるのだと思っていた。

でも田舎の土地の問題で「アツヒロクン」を探す事となり、連絡がつき実家から私の連絡先を聞いて連絡をくれたのだ。

「アツヒロクン」は実の父の血筋の事をずっと知りたかったのに、 母親や新しい父親の手前、我慢していたとの事。
自分が父親になって一層本当の父方のルーツが知りたくなったって。

私にはずっと当り前に存在したふる里が「アツヒロクン」には空白だったのだ。 無いものは存在の不在が一層重く感じられるものね。

でも電話で話しを始めるとすぐに打ち解けてすっかり長電話になっちゃった。 幼い頃を知っているってこういうものかもしれないね。

「アツヒロクン」が田舎に遊びに来た時の白黒の古い写真が手許に2枚だけ残っている。
木魚でお参りする写真とスベリ台で遊ぶ幼い私達の写真。

まだ電話も各家になかった幼い頃、「さよなら」「バイバイ」と別れたまま、 次に話をする時はメールアドレスの交換をするような時代になっているなんてね。
まるでタイムマシンに乗かっちゃったみたいだね。

2002年12月20日

我々の勝利の日!

友人が西武新宿線で痴漢の疑いをかけられ逮捕されたのが2年前の12月5日。
先日の12月5日に東京高裁の仙波厚裁判長から無罪判決が出て 今日で控訴期限を終え無罪がやっと確定しました。
長い長い道のりでした。

「彼はそんな事をするような人間では無い!」という信念を持つ友人達で支援団体を 作り、今日まで共に戦ってきました。今では皆を心からの戦友と呼べます。
2年間の私達の戦いは、本日完全に勝利を飾る事ができました!バンザ〜イ!

それにしても起訴されたら99.8%有罪という、日本の司法の恐ろしい実体を見せつけ られました。
状況からして彼の無実はすぐに明らかになると思っていたのに 「女性がやられてもいない事を言うはずがない」という理由と、 「彼に反省の態度が無い(!)」というだけで1審ではなんと1年2ヶ月の実刑ですよ!
メチャクチャです。
そんなバカをヌケヌケと言ったのは秋葉康弘裁判官です。
今から1年前の1審判決後は、実体の見えない、どんな恐ろしい組織と 戦っていかなければならないんだろうという恐怖で呆然とさえしました。

でも彼も奥さんも最後まで本当に強い意志で頑張った。
二人の姿は美しかったです。

支援団体の皆もそれぞれにできるだけの協力をしてきたね。
メーリングリストからは裁判情報や励ましの言葉やバカバカしい冗談が飛び交って この問題を常に忘れさせなかった。
証拠作りのためビデオ撮影をしたり、検察の虚偽をどんでん返すほどの証拠を集めた メンバーもいたね。
皆、本当にすごかったヨ。
協力して署名だって3万6千名も集まった。
署名に快く協力してくれた方々の事を考えたら膨大な力の後押しがあったよね。
弁護士先生方は正義感のみで彼を無罪へと導いてくれた。
日本救援会という日本社会の矛盾と戦う全国組織がある事も知った。
ニカさんも力強い協力者だったよね。

この2年の事はとても簡単には書き切れないけど
彼の為というより、正義の為、そして自分の良心のために頑張った 皆の心には素晴らしい宝物が残ったはず。

本当の彼の人生の戦いはこれからまた始まるのだけれど、 皆の正義感と心からの友情という宝物の事はどうか忘れないでね。

2002年11月13日

ミ〜コの首輪

2年程前、ウチに子猫を連れて来て住み込んだノラ猫のミ〜コ。
餌をあげるのをやめたらいつの間にか離れていってしまったけれど
1ケ月に1度くらい顔をみせてくれていた。
それが今日はちょっと何かが違うんだなあ。
首のあたりに食い込む黒い首輪。

そういえばこの頃、事務所の隣の家のおじいさんが猫撫で声
で 「オ〜、ヨチヨチ..」なんてやってると思ったら、ミ〜コだったんだね。
きっともう名前もミ〜コじゃないんだね。
だからこの頃「ミ〜コ!」って呼んでも返事もしなくなっちゃったんだ。
その首輪、あんまりセンスは良くないけど、しっかり離さないで幸せにね。

2002年11月07日

以外な一言

長野の実家に稲の脱穀の手伝いに帰ったつもりが、もう田んぼ仕事は終わっていて、結局いつもの通 りの温泉三昧で4泊。

弟の子供は双子(小2)なんだけどこれがめったに会わないのにメチャ人なつこい。
毎夜交代で私達の部屋に泊まってゆくのだけれど、寝相は悪いわ、いびきはかくわ、夜中に笑うわ、オナラはするわ、で、すご〜く安眠妨害なんだけど、色々な芸を見せてサービスしてくれるし、私達が帰る時は陰で涙を拭いてくれるというケナゲさ。
この性格、誰に似たのかなあ..
やっぱり私の母なのだなあ。

その母いわく、「美子は隆より長く生きなくっちゃダメ。美子ならひとりでも生きていけるけど、隆をひとりにしたらかわいそう」
なんだって。
確かにそうなのかもしれないけど、娘がひとりになったらかわいそうじゃないのよ。 本当に私の気持ち分かって言っているのかしら... とは言え、私もその覚悟ですよ。

ニカさんに言ったら「別に大丈夫だよ〜。若いかみさんもらうから。」 なんて強がり言っておりますが、さてこればかりはどうなる事やら。

2002年10月16日

楽園崩壊

私達がこの5年程の間に訪れた国が次々に壊れてしまった。
エジプトの旅の直後にはルクソールの乱射事件。
インドの旅の後にはテロ後のパキスタンとの関係で治安が悪化。
そして今回のテロでは楽園バリが壊れてしまった。

こんなニュースが入るたびに、その地で生きていた 笑顔の普通の人々を思い出して悲しくなっちゃうよ。
決して裕福な土地ではなかったけど、私達旅人にはとても優しかった。 特に観光業界は影響がすぐ始まって長引くだろう。 テロは一瞬で多くの生命を奪うと共に 人々の生活の基盤をも壊してしまう。

「平和なうちだけお客さんが来てくれるから、今のうちに稼ぐんだ。」 と語っていたインド人ガイドのアラムさん。 エジプトのスークの物売りの元気なおばちゃん達。 バリの寺院で観光客相手にボっていたインチキおじさん。 皆困っているだろうなあ。

私達が危険な場所へ行ったのかとも思ったけど 世界中の危険度が増しているのだと考えた方が当たってる。
この先、日本だってわからない。 この頃は都会に出る時は緊張するよ。 テロ、異常者、事故、地震、何が起ってもおかしくないもの。

テロはすごく憎い。
でも武力で押さえ込んでも、 テロが無くなるなんてありえない事だけは確かだよね。
同じ人間なのに、この頃つくづく悲しいね。

2002年09月06日

火災発見

冷たく暗い雨の午後、ふと窓の外を見ると 道路でチラチラと赤いものが揺れている。
何?火みたい?って火だよ〜。

信じられない事に、前の家にクリーニングを届けに来た車のタイヤが燃えている〜!
車体からモクモクと煙りを出しながら、雨にも負けず赤々と燃えている〜!
爆発したらどうしよう!

実際に火事を見つけたのは生まれて初めてなので1分程、呆然...
やっと頭に血が回って「そうだ!消火しなくちゃ!」...
と思うまでにこんなに時間がかかった自分にまた唖然。
とにかくホースでは届きそうもないのでバケツに水を汲んで参上!
そうしている間に前の家の奥さんが消化器で火をねらい撃ち! その後まだ煙りの出ている車体に私がバケツに10杯程の水をかけ無事鎮火!
その間クリーニング屋の奥さんはクリーニングした服を車から運び出した後、 冷静沈着に消防車を呼び、消火後に3台も到着。おまけにパトカーも1台来たよ。
こういう時って女の方が絶対現実的である。
ニカさん達は「クリーニング屋の奥さん冷静ですごいねえ」とか 「消防車がどうの..」とか 私には「きっと消火活動で表彰状がもらえるよ」なんて言っているだけで、 全然消そうという意志がないのだ!

その後は女性の消防士さんが家に来て 当然私だけに消火活動のお礼を言われ、 火事を見つけた時の状況と住所氏名を聞かれた。
その夜更に消防署から御丁寧にお礼の電話があって、これからの協力を御願いされて.. それだけ。
実は表彰状だけは欲しかったのになあ....。

2002年08月09日

映画2連ちゃん

今週は夏休み前で何となく仕事も空きぎみ。 で、ここぞとばかり2日連続で夕方から映画に出かけた。

初日は「タイムマシーン」 これは意外にも大満足の力作でした。 映像は綺麗で迫力あったし、 タイムマシーンや未来世界のデザインも凝ってて楽しめた。 ストーリーも意外性があって、後味も良い。 やや無理のある部分もあったけどこの夏お勧めの一品です�

2日目は「スターウオーズ/エピソード2」 これは...多くの疑問の残る一品でした。

エピソード1ではあんなに可愛く賢かったアナキンが なんであんなナンパな若者になっておるんでしょ? 10年間ジェダイの訓練何やって来たんじゃい!っていう感じ。

それから思慮深いはずのアミダラ姫よ。 あんな未熟な兄ちゃんに惚れるか〜? 陳腐なラブストーリーにはう〜んざり...

それにジェダイの力ってもっと崇高で大きかったはずじゃない?

確かに細部まで手の込んだCGは自然で、迫力も凄かった。 ニカさんは「スターウオーズ」ファンはそこを楽しめばいいって言うんだけど 私は別に「スターウオーズ」ファンって訳じゃないもんね〜。

あれは、これからアナキンが悪者ダースベーダーになっていき、 帝国との戦争が始まり、その前になんとかルークとレイヤ姫が生まれないと困る.. というストーリー上、無理矢理話しを繋いでるとしか思えない。
...気に入らないな▼

2002年07月17日

人間ドック

毎日の生活に追われながらも、無視できず、 追われているからこそ気にしなくちゃいけないものはな〜んだ。 と言う事で、先日2年ぶりに市の人間ドックへ入って来た。

人間ドックって否応なく結果を突き付けられるから苦手なんだなあ。 だるいな〜、とか太ったな〜、っていうのをはっきり病気と結び付けられて 「気をつけてください!」って言われたとたんにすっかり病いの気分だもの... つい、受ける前は「結果、何があっても気をしっかり持とう!」という覚悟までもしてしまう。 ..ってこんなオーバーな覚悟するの私だけかしら...

問診の先生は15年近く前からず〜っと同じおじいさん先生で 15年前と少しも変わらない、年令不詳の仙人のようなおじいさんだ。 実はこの変わらない先生の姿こそ健康のためのありがた〜い看板なのだ。 「気をつけていさえすればいついつまでもこんなに元気でいられるのだよ」 と身をもって市民に諭してくれている。

そしてお決まりで「中性脂肪が高めだし、お酒も飲んでるから、 このままいくと....(●_●;)」と脅かしてくれるわけです。 でも、これは健康のためのありがた〜い呪文なのだ。 これで半月は健康に気をつけるものネ。

今回の私の結果は幸いにも太り過ぎを覗けば問題無し。 これって幸いと言うか、情けないというか....ウウッ でも自分の結果より気になるのは身体に無理してるニカさんの結果なんだな。 こちらも若干気になる所はあるけど大丈夫でした。

ともかく、これで当分は生きていける..という安心感が得られて良かった。 って、こう感じるのも年のせいかしら...?

2002年06月20日

クール

2002サッカーW杯で熱いです。
思い出せばドーハの悲劇もリアルタイムで叫んだけど それから9年、日本選手の精神力の進歩には心から感動した。
肉体だけでなく精神も鍛えあげる事ができるし、 それは厳しくても、とても美しい事であるんだあ!と、 不景気に疲れ、精神性を忘れていた日本中に勇気を与えてくれたと思う。

プレッシャーに負けず、逆境でもクールに自分をキープできる そんな人に私もなりた〜い。
TVの前で応援しようという身分のくせに 日本戦となると武者震いしてしまう自分がホトホト情けないです。

このWカップの間にも選手は確実に進歩した。
実はトルシェ監督自身も進歩したんだと思う。
それから私達サポーターも 勝利の喜びを味わい、悔しい負けを受け入れながら何かしらの進歩をした。
トルコ戦は悔しかったけど、惜しく無い負けなんてないよネ。
潔い負けには勝者にない美しさが存在すると思う。

やっぱり日本人だった私は、これからの試合は やっと心穏やかな気持ちで残りのW杯を楽しめそうです。
オーレ!

2002年06月03日

原作が先か映画が先か...

映画「ロード・オブ・ザ・リング」を観てから すっかり原作にはまってしまってしまっている今日この頃です。

「ハリー・ポッター」の場合は先に原作を読んでから映画を観たから、 一度自分のフィルターを通 している楽しみ方があった。 私の中のホグワーツと映画のホグワーツの違いを楽しんだり (映画の方が視覚的に充実しているので) 観た後で私の中のホグワーツのイメージを映画が補足充実させてくれた。 でも細かいストーリーや感情までは映画では表現しきれないので、原作を読んでいたからこそ映画の隙間をうめながら楽しめた気がする。

「ロード・オブ・ザ・リング」は映画を観た後、 こんな気分のままじゃ、来年まで待てないじゃないのヨ〜!
とばかり長篇に臨んでしまった。

でも最初は映画から入っているので 登場人物も空気も映画を引きずっている。
でもこの場合はその方が良かったかも。
原作では表現が細かいし、場面も多く、登場人物も多く、 私の単細胞な頭だけでは整理がつかないもの....

それにしても「ロード・オブ・ザ・リング」は新しいひとつの聖書なんですネ。
それから蛇足ですが、アラゴルンはとっても素敵�

2002年03月25日

女性社長登場!

始まりは、とある1本の電話からすごい人と御会いする事ができた。
エステの女性社長という今まで縁もゆかりも無いゴージャスな業界の方。 女性に年齢は失礼なのだけどお話からは60近いはず... なのにメリハリボディにツルピカお肌。(�-�) それでいて腎臓人間っぽくなくてパワフルさと暖かさを備えた方でした。
バブルの後、5億円!の負債を抱えその借金の返済は一時は月々750万を超えたけれど 家族の信用を守るため必死で返したとの事。その間に25回も大病の為入院されたとか(@o@;)..  月々の返済が60万になった時、初めて気が抜けたそうで...フ〜、桁がちがいます.. たまに冗談で「じゃあ、お借りしてたお金500まんえ〜ん!」なんて言ってる私って、どーせ根っからのビンボ〜人さ。

依頼された仕事の内容は社長の思いの商品をラフなスケッチにするというものだったけど 社長の思い入れの強さに圧倒されて(ウチで口を挿む余地もないので) ....無料で仕上げさせていただきました。
その代わり、色の与える影響の事、食事の事、健康の事を総合して美容を完成しようとされていて 面白いお話がたくさん聞けて良いパワーをいただいたからトントンでしょう。
でもエステって、色々ダーティーな面もあるみたいだけど その場でお客様の喜ぶ顔が見られるのが良いみたい。 それってストレートで良いよね。ラーメン屋さんの喜びと同じだね。

2002年02月14日

二階堂短期集中特訓予備校

先週の3連休は友人の娘のマルガリータが我が家にホームステイ。
マルちゃんはスペイン人の父と日本人の母を持ち、顔はラテン人、心は素直な日本人の18歳。今年美大の立体デザインを受験なのに、立体に関してはまだ全く白紙の状態のため急きょ二階堂短期集中特訓予備校が開設されたわけです。

初日は造形の3つの基礎、
●スタティック●ダイナミック●オーガニックをニカさんから徹底的に教え込まれ平面 構成で表現。 2日目はスタティックな立体造形をいくつか習作し3日目はオーガニックを習作の後、「アメリカと日本をそれぞれ言葉と立体で表現しなさい」というテーマが与えられるというハードな3日間。
その間に受験の達人ヤタさんからは実戦のコツも伝授されるという目まぐるしい3日間を良く頑張ったネ〜! その間の私は、下宿のおばさん役から共に学ぶ友達の役までをこなしながら 自分が受験生だった時代から今までを超スピードで体験しているような気分。でも自分が受験の頃、こんなに理論的な立体の説明受けた事無かったな。もしかしなくても一浪くらいした方が理論や実技の腕が格段に上がるから長い目でみれば良いのかもネ、今だから言えるんだけど..。

最初は戸惑いぎみで、途中は落ち込みぎみだったマルちゃんも 最後はなんだかルンルンして「ア〜ッと言う間の3日間で楽しかった〜」 なんて帰ったけど、きっと何かを見つけてくれたのかな。

何はともあれこれからが本番。 いい春が来るよう応援してるヨ!

2002年01月29日

物の捨て時

40年も生きていると身のまわりの物は増え続けるばかり。少し物を整理して身軽になろうと決心する。
物の捨て時にも色々あって 数回しか着てない服を捨てたくなったりするかと思えば なかなか捨てられないのがボロ雑巾だったりするのだ..。

これはまさしく自分の深層心理に根ざしているのではないか! 捨てたいものは見たくない物だ。 買ったのにも関わらず気に入らなくて後悔した物を見るたびに自分の浅はかさを見せつけられるみたいで心が痛むものネ。 他にも、嫌な思い出がある物、安っぽい物、ニセモノ、 いつか痩せたら着られると思ってとってある服(哀!)、過去2年以前の仕事の資料、はもう捨て時でしょう。 でもニカさんの昔のスケッチは捨てられないな。

もしかしたらカセットテープというものも もう聞く事はほとんど無いのかもしれない。 ウチのカセットデッキ壊れたままで、もう直す気ないもんね。という事はこれも捨て時か..。

プロダクトデザイナーとしては商品を買ってくれた人に、ボロになっても 「いつまでも捨てたく無い�」と思ってもらえる商品を出したいものだけれど今の所私はハードル超えてないと謙虚に反省。

それにしても私はなぜボロ雑巾はいつまでも捨てられないのだ? ...それは柔らかくなって拭き易いという理由よりも 単なる貧乏性の様な気もする。 それとも何かトラウマがあるのかな〜?

2002年01月15日

トホホの絶句!

3連休、ニカさんは大学の落研仲間と談志の落語に行く予定だった為久しぶりに私だけの里帰りとなった。

いつもは夫を連れた娘として実家に帰るのだけれど ただの娘として帰るのはなかなか新鮮。
気分は遥か昔の学生時代の帰省気分♪
少々飲み過ぎたきらいはあったけど、毎日温泉三昧して、親に少し甘えさせてもらって、甥達と遊んで、田舎の風景を眺めてなかなかのリラックスな旅を満喫して帰宅。 ニカさんとお互いの休みの報告中 それまでの幸せ気分もぶっ飛びの事件発覚!

隆:談志の落語の後皆で飲んだ..
美子:そうでしょうとも。
隆:夕方5時頃から飲み始めて1時過ぎまで立川で飲んだ..
美子:まあそんな事もありますでしょう。
隆:終電が無くなったので立川からタクシーで帰った...
美子:...まっ、まあ、たまの事だしネ。
隆:先輩もウチに来て泊まった....
美子:ふ〜ん..!!もちろん洗濯物しまってくれたでしょ?
隆:そんな事するわけないじゃん、酔っぱらってるんだから〜。
美子:なっなんで!!

そうです。客間には出掛けに干した洗濯物、それも私のブラやらパンツやらが干したままだったのです..
まだ夜ならいいよ、 朝、目覚めたら目の前に..ってありか〜!減るもんじゃ無しとは何だヨ
ニカさんのデリカシーの無さにぶ然!
せっかくのリラックスも沸々と沸き上がる恥ずかしさとトホホ気分で帳消し。
幸せ気分ってなかなか長続きしてくれないんだからな...もう。

2002年01月08日

悩めるペット事情

あけましておめでとうございます。
またまた新しい年が始まりました。

こういう時はついつい今を見直す事になり 仕事に終われる毎日に変化をつけたいな〜などと考えているうちに運動不足解消と気分転換にいいもの!思いつきました。

それはペット、愛犬です!∪^⊥^∪ これなら朝夕の散歩は半強制、運動不足は即解消 (=^^=)
おまけに疲れた時なんか癒してくれそうでこれはもう一石二鳥 (^。^ )!
くろすけもあれから2年経つからそろそろ許してくれるでしょう。

でも...楽しさと引き換えの今後想定15年の責任は重たい。
思わず自分の年に15足して、ちょっと不安 (-_-;)
気楽に旅にも行けなくなっちゃうし(´〜`) 最期の別れの時は辛いし....(;‐;)

ニカさん共々犬は大好きなんだけど、 幸せと責任を天秤にかけながら いまひとつに踏ん切りがつかない今日この頃です。これも縁のものだから、これこそ出会い�という時まで 当分迷い続ける事になるのかな。

2002年悩めるペット事情は今後どのような展開をみせるでしょうか。

では、本年もゆったりと落ち着いた生活は望めそうもありませんがなんとか荒波小波乗り切っていきますのでどうぞよろしく!

2001年12月31日

今年もお世話になりました

2001年は世界の激動もすごかったけれど 私にとっても例年にない激動の年だったと記憶しよう。

通常業務が忙しかった上に色々な事が山積みとなり 時には泣きが入りそうな多忙と過労な毎日だった。 人間って先にしなくてはいけない事を 沢山思いついてしまった段階で疲れるんだってかなり実感... 打開策はひたすら1つづつこなすしかないみたい。

今になって思えば2001年は、マンネリ化している毎日に神様が波紋を投げかけてくれたみたいな1年だった。

多くの人達との良い出合いがあり おかげさまでたくさんの仕事をいただき 今までのスケールでは判断できない事ばかりがあり 報われる苦労より報われない苦労の方が大きくボーっとする暇も無い綱渡りの毎日。

後になって、あの年は大変だったけど 自分を育ててくれた年だった、と思える日がきっと来るといいな。

美子日記も今年は随分御無沙汰しましたが イッキのおかげでホームページもめでたく更新の運びとなり 2002年はまた新鮮な気分で始められそうです。皆さま本当にお世話になりました。 2002年もどうぞよろしく!

2001年10月01日

秋色の服

春も秋も気温は同じようなものなのに いつの頃からか秋と春に着る洋服が分かれている。
基準は色。
季節が秋になると春に着た淡い色の服を着てもしっくりしないで 茶系やレンガ色、赤、黒、ベージュを着ると落ち着く。 ブルーならパープル系。 あんまり流行色は気にならないけれど 季節の色を着る事が精神衛生上の習慣になってしまった。

誰かが注目してくれているわけではないので ほとんど自己満足のみの価値観だ。(..泣..) 服の数だって有り余っているわけではないのにね。

学生の頃は一年を通じてGパンとTシャツ基本ですんでたのに これは精神の成熟と言えるか、飽食と同様の堕落なのか。

でも回りを見ると木々の葉はオリーブ系に深まり カラシやレンガ色も混じるようになって 空の色だって春よりマゼンダの量が多い。

きっと人間だって自然の一部だから 保護色を着ると安心するのに違いない。 単に気持ちの問題といえばそうだけど
これも人間の文化なのだと納得して ささやかな贅沢としておこう。

2001年09月13日

21世紀も事件は続く

近頃は友人の巻き込まれた事件の為 浮かれた気分にもなれずにいたんだけど、 今回のアメリカのテロ事件ではもうボー然です。

当日は仕事が遅くなって、夜10時半頃終わり ホッとしてTVをつけたらあの映像。 「....何これ〜。映画〜? LIVEって!ヴェッ...」 っていう感じで、私の弛緩した頭は 「驚く」までに数段階を必要としてました。

新宿のビル火災も酷かったけど どんどん凄さに拍車がかかってゆき それに慣れてゆく人間が恐いです。

映像に見入って、気がついたら深夜も1時過ぎ。 もしかしたらあの映像を頭に焼きつけようとするのは 人間の危機管理能力なのかもしれません。 おかげで近頃はビルに入るのも電車に乗るのも どこか恐くないですか?

それにしても旅客機をハイジャックしてビルに突っ込ませる なんていう事が頭に浮かぶという事自体が凄い想像力。 命までかけちゃうなんて抜群の実行力。 その力を別な所に使ったらいいのに あの人達はどうしても平和のためには使えないのでしょう。

主犯とされるラディン氏は私と同世代.. たった(..でもないけど)40数年生きてきただけで なんであんな大惨事を実行できる人生になっちゃうんだろう。 私なんか『悪い』と思う事は心が傷んでできないし、(ホント..) 悪い事しちゃったと思うとズキズキと後悔しちゃう ちっぽけな人間のままなのにな〜。それが普通 なのだよネ!

21世紀も事件は続きエスカレートし 私達の恐怖感は増大しながら慣れてゆく。 ここらで軌道修正の なんか良いニュースないでしょうか。

2001年08月04日

インド旅行記

インド旅行の後御無沙汰してます。
旅行記は別にアップしてますので見てくださいね

2001年06月06日

なぜか今インドへ

6月10日から18日まで二人で酷暑期のインドへ行って来ます。
なぜ今、暑くて不潔で身分差別があって、
ビールも飲めない国に行きたくなるのか?
これがきっと私達の中のバランス感覚なのかな。

毎日清潔な部屋で暮らし、パソコンに向かって0.1mmを詰める仕事して、食べたい物を食べ、理性的な会話のできる環境がある。

こんな暮らしをしているのは現代の世界の中でも一部である事を 体感して、『当たり前になっている生活感覚を壊す修行の旅』
なんて言ったらカッコつけすぎでしょか..

だから2等寝台車で移動もするし、
ガンジスの沐浴コースははずせないし、(体験は無理そうだけど..)カーリーだって右手の指で食べて来るよ。
できれば猿人にだって遭いたいな。

でもこんな言い方したらインドに失礼でした! 逆にインドには今の日本が失った、 精神性というか神々しいものが有るような気もするのです。

さて未知の旅の先には一体何が待っているのでしょうか? 帰国後報告をお楽しみに。

2001年04月22日

来客歓迎

ウチの場合、いつもほとんど身内で仕事をしているので
対人関係によるストレスは皆無。
ウマが合う事はいいことなんだけど
慣れあいの関係だけでも油が切れて来るから人間って厄介。
近頃来客が頻繁で刺激的で歓迎です。

金曜日はニカさんの仕事の関係で都会的で中身のある若い方々と会うことができたし、
その後はその関係でダミーメーカーさんにおじゃまして ニカさんの学校の教え子達が一人前になって働いている綺麗な姿も見せてもらったし、
その夜は急に22年来の友人が訪ねて来て語って泊まっていってくれたし、
土曜は海外旅行から帰って来た友人夫妻がおのろけがてら遊びに来てくれたし、
日曜は薬剤師の友人が忙しいにもかかわらずお願いしてあった資料を わざわざウチに届けに来てくれたり..m(..)m..

今週末は久々にゆっくりしよう!という計画は
すっかりくるってしまったけど、
ゆっくりするより皆さんと御会いした方がず〜っと元気に慣れたみたい。

刺激的来客熱烈歓迎!

2001年04月03日

やっと回復

何年かぶりに咳の風邪をこじらせて
この10日程は苦しい修行の毎日...

患って初めて普通の毎日の有り難さが分かるというもの。
仕事しててもだるいし、咳きがでると苦しいしで
なんとかやっと仕事を終えたと思ったらやり直し..
いつもは何無く受けられるのに
今回ばかりは気絶しそうな気分。
今まで、ほとんど体力で仕事してきたんだな〜と
つくづく実感..

食欲も全く無くて、
これはチャンス!と思ったのに
こちらはやつれただけで痩せなかったみたい。

気がついたら桜も満開。
先日満開の桜に雪が降った記憶も
熱にうなされた夢の中の出来事みたいな気がするけど
あれは現実だったのね。


でもなにはともあれなんとか回復!