父の死

2005年2月21日午後5時父死す。享年75才。 父は昨年の春に胃ガンの手術をし、一度は回復の兆しがあったもののやはり病魔には勝てず、1月に再入院。 そして、その後はあまりにあっけなく逝ってしまった 。 死の一週間前に見舞った時の父はまだ歩く事もできるくらいで、 暖かくなる頃には良くなるからと頑張っていた。 私には、数日付き添い痛む身体をさすってあげたのが最後の思い出になってしまった。 21日昼過ぎに母から「今夜が峠になるかも」との突然の連絡が入り急いでニカさんと実家に向かったが結局最期には立ち会えなかった。 あと数時間、待っていて欲しかった。立ち会えなかったのも宿命か。 実家にて父の亡骸と対面しても、これが父だという実感がわかず。 ただこれから最後のお別れに来てくれる方々になるべく父の良い顔を見せたくて、母と色々工夫した。 父が話せたら「もういいから放っておけ」と言っただろうなあ。 父は酒を愛し、田を耕し、書を趣味として、高校教師を天職としてまっとうした。 少々頑固な所もあったが清廉潔白な人だった。 父の入院時から卒業から数十年もたつ教え子が千葉や東京、大阪からも大勢訪ねてくださり、 葬儀の参列者も500名を超え、多くの教え子達も遠くからはるばる駆けつけて父を偲んでくださった。 お金持ちでも有名人でもなかったけれど 人々に信頼され、いつまでも教え子の心に残る教師だった父をとても誇りに思う。 不治の病の痛みで苦しんでいる父がいる時よりも 天国で見守ってくれていると感じられる今の方がどこか気持ちは楽だ。 でももう私達が実家から帰る時、「野菜を持ったか、米はあるか」と心配してくれた 父もニカさんに朝から「隆君やっぱりビールを一杯飲もう」と飲ませて帰宅を1日遅らせ てしまう父もいない。 私も最初は気づかなかったけれど、ニカさんと父は人間の本質がとても良く似ている。 優しいのに愛情表現が不器用な所までそっくりだ。 でも、父が悪くなってから何かと気使い、優しく元気づけてくれたのもニカさんだ 。 だから私達の事は父は安心してくれていたと思う。 結構私、親孝行だったしね。母も最後までしっかり看病したし、 善一郎(弟)も喪主をきっちりできたしね。孫達も随分泣いてくれていたよ。 亡くなってすぐにニカさんの両親も駆けつけ、4日も付き添ってくれて心強かったよ。 キリがないからもう思い残す事はないよね。 それではまたいつか会える日まで、さようならお父さん。

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